日本ブログ村

2016年3月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    

最近のトラックバック

無料ブログはココログ

思い

2015年11月16日 (月)

命のゆくえ

この3日は痛みが続いて、仕事へ行ったらへとへとで家事や掃除が簡単なことしかできず、
母に負担がいったようで、ちょっと機嫌が悪くなり、ああ、この前働いたお金で
旅行にも行ってもらうし、この前もエステを出したし、家事も最低限やっている、
もうこれ以上どうすればいいの・・・・

などなどともんもんとしばらくして・・・
ふっと、自分と相手の間に取引のある心があることに気が付きました。

ふふふ、それに気付けてよかった。

こんなに精一杯やっているのに、私やってあげているのに!どうして?
みたいな(笑)

そういえば、母もよく同じことを言っていたなあ。
なかなか治らない私の病気をそうやって受け止めていたことがあるんだろうなあ。

そんなことに気づいたら、あのときの母の気持ちが理解できました。
そしたら、なんか気持ちが楽になり、ゆっくりと夕食と明日のお昼を作れました。

でも、きっと、私は家を出たほうがいいですね。
私が家を出ると、いろいろと家で問題が起きて、帰ってくる、その繰り返しをしましたが、
今度こそがんばってみようかな。
一緒に暮らして事業をしよう、とかの話もありましたが、
やっぱり、一人でやってみよう、と思いました。
まあ、貯金ゼロですが(笑)
家にお金もいれたいし、ちょっと大変かもだけれど、方向性は決めておこうと思いました。

そのあと、家に遠赤外線の温マットがあるですが、そのマットに体をあてて、
痛みを緩和してましたが、どうにも取れない。

今日干した布団に横になったら、太陽の温かみで痛みにジンジンと響きました。
やっぱり太陽の光はすごい。
月の光も痛いときは、楽になったりしますが、太陽もすごいパワーです。

遠赤外線も、午前中の太陽光線と同じといわれていますし、このマットで病気が治った人が
身近にたくさんいますが、やっぱり自然のものには勝てないのだなあ、と思います。

自然はやっぱり偉大だな~
やっぱり自然に何かお返しすることをもっとしたいな、
と、そんなことが頭に浮かびました。

私が一番大事にしたいもの、そういうものを大事にできる生き方ができれば
私は幸せなんだろうな、って。

それには、社会の今のどうでもいい価値観とか、消費社会の戦略とか、
概念とか、人の目とか、競争社会に揺れない心を持たないとなあ、なんて。

病気になる、ということは、新しい生き方のきっかけだと思います。

病気になって、社会復帰、それもすごい、けれど道はそれだけがすべてではない。
社会に復帰しなくても、新しい道を、新しい生き方をしていってもいいのでは、と思ったり。

社会や人の中でしんどくて、競争社会で頑張りすぎて、人と比較して頑張ってきて、
心が疲れてしまったのなら、その社会に反発はしなくてもいいけれど、
無理に迎合しないで、新しい自分の生き方を見つけてみようかな。
ドロップアウトもいいなあ、と思うのです。
そんなことを太陽の光をたくさん含んだ布団にくるまれて、癒してもらいながら
思い浮かべたのでした。

ブログ村の方が旅立たれたことを知り、とても心が揺れました。
ご冥福をお祈りいたします。
幸せな世界の中にいらっしゃることをお祈りします。生きてくださったことに感謝をこめて。

そして私も40まで生きられないかなー、と思っていたのが、ここまで生きてこれて、
自分の命のゆくえをこれから、もう少し力をもって照らしてみたくなりました。

私は生きていくこと、死ぬことが、統合失調症になって恐怖の体験をしてから、とても怖いです。
並々ならぬ恐怖、という感じ。はぁああ。
でも、恐怖に負けないで、生きていけたらいいな~☆

おやすみなさい。今日もありがとう。
読んでくださりありがとう。

2015年9月 8日 (火)

プロフェッショナル・働かなくても堂々と生きる

プロフェッショナルという番組を 時々みます。
仕事をする人々が、どうやってその仕事に向き合っているかの番組です。
一番好きだった回は、羽田空港を掃除をする、中国人の新津春子さんのことを
取り上げた時です。

清掃の大会で一位にもなったことがあるという彼女は、世界一きれいといわれる
羽田空港を支えているのです。

どんな汚れも、隠れた汚れも、多くの道具を自由自在に操り、きれいにする彼女。
その姿の奥に、何かとっても深い優しさがあふれてくるのです。
それはここを利用する方が、本当に気持ちよく幸せに過ごしてもらえるように、
そういう思いです。

トイレを真夜中に掃除する彼女は
「別に誰がやったかとかは、どうでもいいのではないでしょうか、ここを使った人が
きれいだなって思ってくれれば、それでいい」
と言いますし、(うう、陰徳なんて言葉では片づけられない)
「心をこめてやる」
と。なんて美しい人だなあ、と見とれてしまいます。

私は、どの仕事も尊敬しますが、個人的に一番尊敬するのは、清掃の仕事です。
というより、清掃じたいが好きなのかもしれません。
薬品などを使わなければ(粘膜が弱いので)、やりたい仕事かもしれません。

汚れと向き合う、というのは、今のこの環境、そして自分と丁寧に向き合う、
という感じです。そして、感謝の心で磨く。
その作業は素敵です^-^(どんな仕事もそうなのでしょうが)

私自身、ホテルにとまるときなど、いつもきれいに清掃して帰りました。
安心の場を提供してくれるということが、すごく嬉しくて(私にとっては貴重!)
どうせ掃除に入ることはわかっていても、私は今、できることをやりたいな、と
思った時、掃除しかないわけで、わりと丁寧にきれいにしていきます。

ある時、長く滞在した宿泊施設から、家に、贈り物
(レアなその土地の関係者しかもらえないお土産)とお礼の長い手書きの手紙が届きました。
びっくり!

本当に心をこめて掃除していただきありがとうございました。
ぜひまたきてくださることをお待ちしています。

そんな内容でした。
気持ちってやっぱり届くのですね、実は、たいして清掃には力を入れませんでしたが、
次の人が楽しい思い出をここで作れますように、と願って掃除しました。
私は、痛みでとっても泣きながら辛かったので、
なおさら、楽しいひと時を誰かが過ごせたらいいなと思ったのです。
この時は嬉しかったです。

心をこめて掃除をしてくださる、羽田空港の新津さんは、きっとこの喜びと
深い愛をいつも感じてらっしゃる人なのだと思います。
掃除の仕事、すばらしい^^!

主婦の仕事もすばらしいです。

主婦、というと、あまり仕事ということをイメージしずらいのですが、
家にいて、家族を見守り(この見守るというのはすごいこと!)
家族の体調や状況を判断し、食事や環境の整備、家計の管理、そして
みなにエネルギーを寄り添うこと、簡単にできることじゃ、ありません。

私は15年、偉そうに主婦なんてとてもいえませんが、家族の食事、予定、動き、体調、
環境整備、そういういつも流動的に動いていくものを把握して、エネルギーを
よりそわせていくという作業を経験し、これはすごいことだと思いました。
それに介護や育児が入ればもう、大変大変。
自分にエネルギーを注ぐ時間なんてもてませんよね。

私の母は、住む県でははじめて管理職になった女性として、その時代では高いキャリアを積んだ人です。
男性社会の中、やっていくことは相当強気でないといけなかっただろうし、
多少性格が強気すぎるのもしょうがないことだと思います。

ずっと母は専業主婦などを馬鹿にしていました。
子供たちの子育ては、祖母、そして私は施設でしたが、それがどれだけ大事がわからなかったようです。

母の生き方はプロフェッショナルに出るような生き方です。
自分を磨き、その世界でトップにたつ。

でもその母は、少し家事をすると、家事は認められない、何のために毎日洗濯をするの、
こんな認められない仕事いやだ、うつになる、辛い、プライベートの時間がない、
よく言います。
働いていた方がよっぽどまし!と。
(母の名誉のために言いますが、今は本当に家事を大切にやってくれます)

気分転換に少し家事をやるのはいい。でも毎日、それも家族の様子をみながら、
的確に動くこと、それはものすごいエネルギー、影で支える力だと思います。
子供心では、家にいてくれるだけで、たとえ家事をやっていなくても、
誰かいるのがどれほど安心か、と思うのです。

私は祖母がいたときは、学校から帰ってきた時、祖母が居間でテレビを見ながら
うとうと昼寝をしている姿を見るのが大好きでした。
あの安らぎがなければ、たぶん生きてこれていません。
なんて祖母はすばらしい仕事をしてくれていたのだろうと思うのです。

農業の仕事も尊敬。

農業は本当にすばらしいです。特に、土と向かい、食べるものを育てる、
農薬や肥料に頼らないで土を生かす、あの深い愛は、ちょっと私まだ及びません。
自然を相手にするというのは、ものすごい観察力、深い洞察、知識、がないと
できません。
私にはちょっと広すぎる世界ですし、尊敬です。

そんなこんなで個人的にすごいな、と思うものをあげましたが・・・・
社長も、ヒーラーも、医師も、事務の仕事もレジも弁護士も運送も、
知り合いにいますが、みんなやっぱりすごいです。
今の私の仕事もとても好きです。(全然仕事ができないやつですが^^;;)

でも、別に職業は別にその方の一部だと思うのです。
すべてを表すものではない、ほんの小さな一部。

この前、寄った図書館に地域の精神障害者の仲間で書いた新聞みたいなものが
おいてありました。

その中で、理念みたいなものに「働かなくても堂々と生きる」と書いてありました。
その理念は、賛否両論があるかもしれません。

その新聞を隅から隅までみると、みなさんの葛藤、生きてきて考えてきたこと、
などが長文で書いてありました。
ああ、なんて強くて、すばらしいのだなあ、あの番組と同じ。
その流れ、強さ、プロフェッショナルだ思いました。
その方たちが発した言葉の奥にあるものは、とても強くてすばらしかったです。

懸命に自分と向き合って、話し合って、悩んで、前を向いて、勇気を出して出てきた言葉。
うーん、こんな生き方をしたい、感動しました。

私は病気の15年の間、働く以外の道を示す人に出会ってきました。
貧乏でもいいから、豊かな生活をしよう、金で回る世の中を変えて行こう。
みたいな人の方は結構いるのですね。

ものすごいエリートをやめて、お金を分け与え、自然とともに暮らすことを
実践してみたい、といって、
障害者も病人も、助け合える社会を作るシステムに力を入れていた若者もみましたし、

働くの苦手な人が、水も電気もなくても、
何年も山奥のテントで自然に負荷をかけない生活している社会もありましたし、
半年遊んで、半年で稼ぐ人、
完璧自給自足で電気も家で発電し、生きている人、
得意なことをおしえ、そのお返しに得意なことで返していき、
収入が少なくても生きられるように工夫していく人達、
みんな貧乏だからそれでよし、みたいな世界もありました。

結局は、仕事をしていなくてもしていても、障害をもっていても、もっていなくても、
お金があっても、なくても、年をとっても、若くても、
日々、自分の内側を世界に映し出し、なるべく喜んで、幸せをみていけたら
いい人生なのだろうなあ、ああ、そんな風に生きたいなあ、できるといいなあ、と思う私でした。

 

2015年8月29日 (土)

何も持ってなくても、堂々と歩いていけたら

夏の大きな仕事は終わりました。
いろいろあり・・・高熱が続き、嘔吐が続き、いつも出血があるのですが、その量がとっても多くなって、
ああ、頑張りすぎだなあ、と思いながらも、家事と仕事を休まず両立させていたのですが、
もう途中から家事ができなくなり、いろいろと揉め事が沢山おきました。

どうも、私が具合悪くなると、揉め事がおきます。

事の起こりは、父が、遊びすぎで、体調悪くなりそうだな、と感じていたので、気を付けてね、と伝えていたのですが、私の意見など全く聞かず、伝えるものなら、「俺を邪魔しやがって」と返してくるので、もうそのままにしていたら、父が高熱で廊下で嘔吐。

姉は「父なんか死んでもいい」くらいなので、父を置いて出かけてしまい、
誰もいなくなり、結局、在宅で仕事をするしかない私が、ケアしましたが、
この一分でも惜しいときに、自分のお風呂の時間もとれないときに、
機嫌の悪い父のケアはとっても大変でした。

具合悪い父は機嫌が悪く・・・・私に対して未来がない、など、いろいろ言ってきて、かなりへこみました。こ、こんなに頑張っているのに、(たしかにお金入れるのは少ないけれど)
ここで言うか!みたいな。

その父の状態が私に移って、父は元気にまたあそびまわる中、私は高熱。
40度近い熱の中で、またもやパートにいくはめに。(何回も高熱で仕事いっています><)

父に、自分の体調くらい守ってほしい、休み休み遊んで欲しい、
とドキドキしながら伝えたら、
「おまえのせいで犠牲になっている」と飛ばされそうな勢いで怒鳴ってきて、
私も部屋で大泣き。

それでも、父はそのとき、38度の熱があったので、勢いが弱くて助かりました。
私は熱が出ると、元気な人とは違い、機能が戻らなくなる可能性があるのです。
それを父はわかっていないのですね。

父は、私が痛みで気絶してようが、入院してようが、目の前で倒れてしまっても、遊びに行ってしまいます。
機嫌の悪いときは、昔から、全力であたってきますし、言葉も、死ね、ぶっ殺す、役たたず、死んでしまえ、殺してやる・・・以下省略・・・・まったく口が悪いです。
おはようの挨拶よりそういう言葉が多い中、ずっと一緒にいましたが、最近は本当に言わなくなりました。

本人も努力しているのだと思います。それでも具合悪いときのネガティブ言葉はこたえます。

私は10年前、姉の病気の世話に、実家に帰ってきて、ついでに病気がちだった父と、かなり脳とか心臓とかやばい生活習慣病だった母に、食事とかマッサージなどで100パーセント愛情もって接してきて、二人ともとても元気になり、20才くらい若くみられます。(たぶん食事効果だと思います)
私より若いです、もうアラ80ですが!
でも、気持ちは満たしてあげられないのですね。

沢山のお金や孫はプレゼントできなかったのですが、それでも少しは何か違う形で力になれていると思っているのです。
かなり健康、かなり人よりは、若いとほめられて、本人も嬉しそう。
やりたいことはやれている。

あのままだったら、二人とも動けなかったです。
でも・・・
親から出てくる言葉は、犠牲、だから、やっぱり犠牲になってるのでしょう。
申し訳ないですね。

今回私が忙しくなっている途中、母親が家事の負担が増えて、なんども辛いといってきました。
我が家は添加物などだめな人がいるので、外からの食事を買うこととか
無理なのですね、なので、全て一からつくるので、負担が多くなるのかもしれません。

姉妹の5食分のお弁当やら、私もつくる暇を持てず、具合も悪く、
姉にも自分でやるように伝えましたが、なかなか無理でした。

もうちょっと待ってね、仕事終わったら、旅行にも行ってもらうからね、ありがとう、と伝え続けたのですが、ちょっと負担になってしまったようです。

私の仕事にもとても協力してくれた母です、ちょっと負担を与えすぎてしまいました。

仕事先とのトラブルも多く、辛かったけれど、それ以上に周りがぴりぴりが辛かったです。

2ヶ月、一日も休みがなかったので、昨日パートから帰ってきて寝ていました。
まだ出血もひどく、食べるものも食べれません。
ひどく症状が進んで、もう戻らないことも増えました。

泣いていたら、家事で疲れた母がきれて、そのまま、私は家を出て、
荷物をもって、しばらく公園で過ごしました。
もう子供の頃から何回家をこうやって出ているのかなあ・・・。

自分の選択してきたことは間違っていたのかなあ。
振り返って、私の進んだ道は間違いだったのかもしれない、と
さすがに、悲しくなり、ちょっとおかしくなりそうでした。

私は、姉と20才からずっと暮らし、姉の面倒を見ていました。
姉が留学し、その間私が就職。
その頃、また姉が帰ってきて、姉が病気になります。

体の病気、そして、心を病んでいきます。
私は姉と一緒にすみながら、働いていました。
夜勤や朝早くから仕事のある私は、6畳の狭いアパートで、
姉が一晩中起きていたり、テンションが高かったり
することがとても負担でしたが、私には、ノーという選択肢はもともとありませんでした。

そのうち、私も病気に。仕事は退職。
私の方が重かったのですが、姉だけでも治そうと、ずっとケアしてきました。
家には帰れず、二人で生きてきました。

何年かたち、一人なら家に帰れることになり、姉だけ実家へ。
私は、優しい方と一緒に住んで、そこで治すことになりました。

でも、姉が家で大変になり、私はやっぱり、姉を助けにいってしまいます。

一緒に住んで、これからも一緒になろう、という優しい方よりも、
家族が心配で家に帰ってしまったのです。

最初は靴の置き場もなく、具合が悪く時間がずれたら、ご飯も食べれず、
本当に働かざるもの食うべからず。外を歩くことも恥ずかしいと言われますし、扶養にも
入れませんでしたが、とにかく姉を治し、その間に、親には意識が違う方面に向かうように、満足してもらうように、
いろいろ楽しませるように、いろんなアイデアを出したり、やってきました。

途中、姉妹で家をでないといけないときもありました。
姉は辛さのあまり、おかしくなり、何度も毎日首をつろうとするのを
毎日毎日止めました。

姉は、奇跡的に治り、高い資格もとり、働けるようになりました、まだ体は弱いし、収入も全然ありません、
でも、今日も学会で発表に出かけています。
あとは収入が増えて、貯金が少しでもできて、いい方が見つかれば、私のやることはもうないかな、
なんて思っていました。

でも、気づいたら、私は自分がまた具合悪くなってしまったのです。
もう、戻れないところまで、自分の病気が来てしまったのですね。
それで、家族に迷惑をかけてしまっているのです。

私自身が幸せになり、体を直して自立して、働けばよかったのです。
私は家族に頼まれることに、ノーという選択肢がもともと持つことすら、考えたこともありませんでした。

家族が幸せになること。
そういう思いが強くて、一生懸命になりすぎたのですね。

でも、私がいなかったら、姉は首をつって死んでいたのかもしれません。
わかりません、何がよかったのか。

私は家族をつっぱねることができなかった。でも、結局家族に迷惑かけている。それだけです。

今は、体の病気が進んでいくことが怖いのです。
毎日毎日受け入れます。統合失調症になって受け入れられたと思っていた体の病気も、
症状が進んでいくと、苦しいですね。

昨日、真っ暗な公園で、家を眺めて、みんな、辛いことあるんだよね、でも生きているんだよね、と何度も思い返しました。
そのまま、しばらく公園にいて、夜は、姉の昼間仕事で使っているところに泊まりました。
そのまま朝仕事に行きました。

明日、手が動かなくなるような病気の人もいる、目が見えなくなる人もいる。
そんな人も日々受け入れて歩いている。

正正堂堂と歩いていけたら。
何ももっていなくても。

毎日生きていること、それだけに感謝していく強さが欲しい。
そこからスタートしたい。

もう一回立ち上がりたい。

そんな強さがほしい、今年の夏の終わりです。

長い文章、読んでくださった方がいらっしゃったらありがとう。

2015年5月20日 (水)

ありがとうがいっぱい

結局ボランティアには参加してきました。
大事な会だったので、ボランティア仲間はどうしても、
私に参加して頑張ってほしかったとのこと。

頭からきのこ生えていたかもですが、なんとか参加しました。
そして、まだ、息がぜえぜえしている私に、
「大事にしてね。たいへんなのに、無理いってごめんね」とのことで
体を何度もさすってくれました。

全部捨てて乗り越えて、というメールをいただいた方は
ヒーラーさんに昨年なった方で、ヒーラーさんになる前から仲の良かった方です。
いろいろお話をしているのですが、ヒーラーさんならではの視点で
メールをくれたこと、落ち着いた心でちゃんと読めば、
大きなやさしさをいただいていると感じました。

負けないで前を向いてほしい。病気に負けないで。
後ろ向きにならないで。やれることをやっていこう。
お二人ともそんな思いが、言葉になったのだな、と思いました。

蹴ったドアには謝りました><ごめんなさいね。胸が痛みます。
ほんの一秒、カーっとなってしまった感じです。
壊れたことは誰も気づいていませんが^^;;少し割れています。
(こっそり直します)

怒涛の一日でした。

あの衝撃のパワーと妬み節はなんだったのだろうな。

薬も抜き出して、眠ることができなかったのも関係あるのだろうけれど、
私の中にいろんなものがあるのでしょうね、パンドラの箱ではないけれど、
いろんな気持ち、感情、そんなものがたくさんあって、
やっぱりそれに振り回されてはいけないなあ、と思います。

ちょうど、病気の友人が、具合が悪くて寝込んでいる、という話を聞いてから、
なんだかとても心が苦しくなっていました。

自分も病気なのに、苦しい人をほっておけない、と
いろんな病気の方を世話し、私を見舞って、様子をみたりしてくれた方です。
いつも人を大事にし、敬い、丁寧に生きていらっしゃる方です。

病気で足が壊死してしまう症状がありました。
でも不思議とその方のそばにいると、とても優しくて高貴な香り、
それも大輪の花のような香りがして、幸せになるのです。
香りのするものはなにもつけていないのですが、不思議なのです。
そして、いい香りがする、そういっている方は他にもいました。

私がとっても小さい頃は、心の目、というようなものでいろんなものを見ていました。
にこにこ笑っていても、本当は泣いている人、怒っている人、
とても尊敬されている人でも、暗いものがある人、
世間的に馬鹿にされている人でも、その人からきれいな世界が見える人。

小さい頃から統合失調症っぽいと言われればそうなんですけれど。

その方とお会いすると、その心の目がよみがえってくるのです。
その方はとても大きな花が咲いているような世界が広がってくるのです。
だから、壊死していても、いい香りがするんじゃないんだろうか、と思っていました。

その方が40歳近くになり、初めてバイトができるようになりました。
学校も、仕事もあきらめて、病気と付き合って生きてきた様子だったので、
私は嬉しくてたまりませんでした。

でも、また時間がたって、とても具合が悪くなっていたと先日人づてにお聞きしたのです。

最近眠れない中、回復を願って、静かに祈っていましたが、
「なんであんなに心の美しい人を丁寧に生きている人を病気にするんだ!」とだんだん苛立ちが出ていました。
心が荒れてきました。

祈っていてこれでは、どうしようもないですね><
全然いいエネルギーではなくて、やめました。

でも今日みなさんのコメントを読ませていただいて、心が落ち着いてしまい、
また、静かに願い、お祈りしてわかりました。

彼女は今でも大輪の花をそこで咲かせている。
とても美しくて、すばらしい、何が起きても彼女の美しさを壊すことなんてできないんだなあ、って。

私は自分が痛みに苦しむのが嫌だから、勝手に彼女に病気で苦しんでほしくない、
という気持ちを彼女におしつけてしまっただけなんです。

ごめんなさい、と心から謝りました。

彼女が堂々と生きていることを見させてもらい、
その姿全部を、微力ながら、応援させていただき、彼女の歩む道を
、美しい道をお祈りして、私は私の道を歩く。
それしか、恩返しする方法はないですね☆

ありがとう、がいっぱいです。
未熟な自分がいっぱい出てくるのも感謝。

本当にありがとう。
やさしいお気持ち、みなさんのお気持ち、ありがとうございます。

今日は髪の毛を洗えて、ほっとしています。
また父の好きなものつくろっかなー、とか、姉に何つくろうかなー、とか
そんな気持ちが普通にわいてきました。

私は、日々贈り物をたくさんいただいていますね。
気づかせてくださりありがとう。

2015年5月14日 (木)

孤独も悪くない

一週間以上高熱が出て、痛みでへろへろでした。

でも仕事と内職は休めないので、座薬をいれて、なんとか動きましたが^^;;
家族は長旅でいなかったので、ひたすら、家ではっていました。
痛みが去った後、静かな家で、ちょっとプチ孤独を味わいました。

心のつらさも体のつらさも、やっぱりしんどいもんはしんどいです。
病気と共に生きている人、精神も身体も含め、本当、頭が下がります。

精神も具合が悪いと、誰にも連絡できないくらいになりますが、
体も、とても連絡などできません。

私の寝たきりの何年もはとても孤独でした。
そんな中、家族にも追い出されてしまったときもあり><!
住むところもなくなり、孤独感さらに満載でした。
でも、その孤独で過ごしたならではの感覚や感性は、私にとって案外宝かも、と思います。

孤独と向き合って向き合って、よく思ったものです。

そのまま誰にも会わずにこの世を去っても、
人と接することがなくなっても、誰も覚えてなくても、
本当に孤独にはなれないんじゃないかなってと。
本当は誰も孤独になれないんじゃないかな、と。

見えないけれど、繋がりあって、それぞれが、大切なひとかけらとして、
生きたり、死んだり、そんな繰り返しをしていて、
それは意味がないようで、本当はとっても大切なんだろうなあ、って。

そんな感じになるのです。

社会的、現実的は一人という姿に見えるのでしょうが、実はみんな壮大につながっている。

体が手と足と顔、それぞれのパーツがあって、一つの体として成り立っているように、
一人ひとりも、それぞれのパーツがあって、この世界を作り上げている。

どんな人も必要。
どんな姿も大丈夫。

世界は幸せに満ちている、きっと、本当は。

そう感じると、自分を、今ある状況を、孤独を包め、許せるのです。
ひたひたと涙が浮かび、自分から湧き出る癒しが、自分を包んでくれる・・・
現実はひとりぼっち、誰から見ても孤独なのに、満ち潮のように、自分の中が満ちてくる感じです。

孤独も悪くない。
孤独でも、どんなに孤独でも、きっと、絶対一人ではないのだから。

 

 

私は、農業を広めるボランティアや、仕事でも、そのような広告を担当しているのですが、
なるべく農薬を使わず、大地や作る人、食べる人が、
負担にならないようなやり方をいろいろみなさんと勉強しています。

農薬を使わない農業は、最初は非常にめんどくさいし、
いろいろな手法がありますが、草一本も大事にします。

雑草という言葉、、害虫という感覚もつくりません。
畑にあるすべてが必要で、害虫も大事、それは、畑の状態を今の状況を教えてくれるだけ。

存在するには意味がある。

それぞれが能力を生かしあって、何も切り捨てない。
それは愛がいっぱいだなあ、といつも思います。

そして、どんなものにも、たとえ、世間的に害虫とか言われる悪いと思われるものも
すごい大事なんだなあ、と思ったり。


貧弱で弱い未熟な私も、大事なんです、たぶん、きっと(笑)
もし、布団の中で一生終わったとしても、うまくいえないけれど、大事なんです。

世界を信頼して、宇宙を信頼して、愛を持って、たとえ孤独の中でも
生きてける力を持ちたいです。

私は自己否定が強いので、消えたい、消したい思いが小さい頃から
身に着けたように自分と同一化しています。

過去のことがよみがえったときは、自己否定の気持ちを溶かしてきました。
これからもボチボチと乗り越えていくと思います。

消えたい、ではなくて、「私を存在させてくださって、ありがとう」、
その気持ちをどんどん大きく持てるように・・・。

この気持ち、感謝は、私に光を灯します。
いつも光を消してしまわないように、そっと抱きしめています。

いつもわけわからめの文章を読んでくださりありがとうございます。

今日もありがとう 。

Img051_2

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

2015年5月 4日 (月)

さよなら、過去

先日、仕事帰りにボランティアに顔を出す時、知り合いの車の乗りました。
知り合いが話をすることに耳を傾けていたら、
知り合いが関わっている女子高生の話になりました。

その女子高生は、私と同じ出身高校でした。

児童施設が中学3年までなので、高校へ進みたくて、入試を受けようとした時、
児童施設から入試を受けることができたのは、市内で一番低いレベルの、
一つの高校だけでした。それが私の出身校です。

話を聞くと、今は、その高校のレベルもあがって、京大とかにも入っているそうで、
「えーーー、えーーー、えーーーー」とびっくりするほどでした。
私の時は、授業さえ、ろくにする先生がおらず、4分の1が退学するような学校でした。

そして、その女子高生の担任の話になりました。
留学をしたいその子に反対する担任が、堅苦しくて嫌な先生だそうで、
相談にのっているとのことでした。

話を聞いてびっくり。
私にとっても、その先生はとても嫌な先生だったからです。

当時、児童養護施設からは、高校入試さえ自由に受けることが許されなかったので、
受けさせてもらった今の高校には本当に感謝しています。
ただ、入試の機会が誰にでもあるのは当たり前。
親の保護の下で育たない子供もいるのです。そういう子供にも機会があって当然です。
でも当時は差別が大きかった。
入学した後も、先生達からいやがらせをよくされました。

「midoは施設あがりだから、付き合ったら大変だ」と仲良くなった友達を
わざわざ呼び出して、忠告して、引き離したり、

私の髪の色がもともと天然に茶色っぽかったので、いつも風紀検査でひっかかり、
脱色していないと知っているのに、その場で、頭から墨汁をかけたり、

私のスカートの中身を風紀検査だといい、スカートをめくり、その下に、ペチコート
(スカートが透けないようにはかなければならなかった)をはいているか、
その色や長さをチェックしたり・・・・。
他の先生も見ているのですが、だれも何もいいません。
(当時30代の男性教師、今はもう55歳くらいでしょう、
この人が知り合いのかかわる女子高生の担任です)

先生同士も学年主任、校長の派閥があって、それぞれストレスを抱えていて、
あきらかに生徒いじめでそれを発散している、という感じでした。

それでも、やっぱり相談するわけにはいかなかったのです。
訴えを聞いてくれる機関もなく、親にいっても、とくになにもありませんでした。
当時は私がいくら訴えても、もみ消す、あるいは、退学処分、そう感じていました。

物言えぬ生徒も、影でいたように思います。
先生に言われ泣いている子もいました。

私は、いろいろされても、じっと静かに居て、泣くことも、文句いうこともありませんでした。
施設の方がよほどひどかったし、さらにいえば、家庭の方がよほどつらかった。
まあ、いいか、ストレス抱えた大人に何を言っても無駄だろう、
そうあきらめていました。

ただでさえ、病気がちで私は猛烈な痛みで時々気絶します。
白い目で見られることも多いです。
退学にはなりたくなかったのです。

でも、知り合いと話をして、そんな過去を一瞬にて思い出し、
私は、知り合いの話を聞きながら、涙がこぼれているのに気付きました。

私は後部座席に乗っていたので、涙に知り合いは気付かずに、
話し続けていましたが、しばらく涙は込み上げてきました。
いやー、やっぱり実は、昔、ちょっとしんどかったんだなあ、今更泣くなんて、と思いました^^;;

私は普通に学校生活を送って、勉強をしたかった、それだけが望みだった。
そう何度も思いが込み上げました。

私は小学校も中学校も、勉強の機会に恵まれませんでした。

最後の施設での中学3年の一年、ようやく授業が普通にあり、それに感動しました。
嬉しくて、嬉しくて、先生に質問したら教えてもらえる、そのことに喜びでした。
そのキラキラとした感動は、今でも胸の中でキラキラしている気がします。

なんとか高校を受験できるような学力を身につけたので、
高校で勉強をすることを楽しみにしていたのですが、希望の高校は入試さえも受けられず、
その入った高校も、毎日、精いっぱいで、授業もろくにする高校ではなく、
体の調子と、先生の圧力、家でのごちゃごちゃの毎日で、思う存分できなかったのです。

なんだかそんな抑圧された日々のことが、体中によみがえり、
この2日間、しばらくぼーっとしていました。

ただ、高校時代も、本当に、友達には恵まれていて、クラスで一番人気の生徒と
親友になれたため、同級生はひどくは、いじめてこなかったのです。
先生同士の派閥に入らない先生は、とても私を好いてくれ、仲良しでしたし、
よく倒れ、寝た保健室の先生も、私の体をいつも気遣って親身になってくれました。

いい人もいた。それも事実。
友人の一人は統合失調症と知っても、会いたいと言ってくれる。
よし、もうふりきろう。そう思えた昨日。

そのスカートめくりの(笑)担任がふと浮かびましたが、
「幸せに。光が降り注ぎますように!」と美しい光の中にいるその方を心に浮かべて、
全部さよならしました。

過去にさよなら、って気持ちがいいです。
過去なんてどうでもいい、そう感じました。

エネルギーを今に、今に持っていきたい。もっと今に生きたい。

今度その先生の話を知り合いとする時は、きっと自然に話せると思います。

話を書かせて下さり、ありがとう。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

2015年4月11日 (土)

素敵に生きていこう

昨日は、お仕事にいって、そのままボランティアに顔を出しました。
まだ、体調が戻らず、断食に近い生活なので、ちょっとふらふらしながらでした。

ボランティアの今までやっていた秘書的な仕事はやっぱりあまりない様子。
少し残念ながらも、ちょっとみなさんと話ながら、「いつでも来てね」といわれました。

4月はいろいろと変化の時。
新しい仕事、進学、家族、きらきらしている人達がいました。

なんだかあまりにも眩しすぎて、おばさん、おろおろしてしまうほどでした。

そして、ちょっとここで、昔の癖がでてきます。私の思考パターンです。
満たされていないから、ずっと持っていたもの。

「私はいる意味あるのかな、生きている意味は?」「何も持っていないな。私。」
「年だけとってしまって」
そういう奈落の悲しみに落ちそうな感じに気付いてました。

そんな気持ちがわいてきたので、ボランティア先を早々に切り上げました。

その帰り道、朝、パートの仕事で、仕事場に送り出した、16歳の男の子が、
一人で施設に帰宅する途中にばったり会いました。

障害があるので、声かけをすると混乱すると思い、
遠くから一人で歩いている姿をしばらく眺めていました。

立派に歩いて、周りをみながら、しっかり歩いている、自分のペースで。

興味あるものをきょろきょろとみながら、楽しそうに、幸せそうに、そして懸命に生きている。
その姿に、心が震え、そしてぽかぽかしました。

あー、こうやって、いてくれるだけでいいんだな、人って。
この町でこの子が生きている。

それだけで本当にうれしい。ありがとう。

花が咲いていて、それで充分なように、
空が広くて、それで充分なように、
何を求めるわけでもなく、望むでもなく、
そこにいるだけで、そこにあるだけで、充分な世界が私の周りに広がっている。

こうやって生きていこう。

素直にそう感じて、悲しみが消えました。
とってもいいタイミングで出会えて感謝です。これもギフトだなあ、と思えました。

自分の生き方の切り替えに、行ったり来たりするときもあるのだと思うけれど、
何かを失っても、何かを得ても、いい時も悪い時も、
この子のように、素敵に生きていこう。

そう思えた幸せな日でした。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

2015年4月 3日 (金)

子供は産めないけれども

久しぶりにブログにむかえました^^
ちょっと体の方の調子が崩れてしまい、そうするとやはり精神も崩れ気味でした。
バイトと内職と家事をこなすのがやっとでした。

あまり人は来ないかもしれませんが、更新していない間にも来てくださった方
ありがとうございますshine

私はずっと子供がほしいと思ってきました。
二十歳くらいのとき、子どもが生まれることを考えてワクワクしたりしていたこともあります。
その時おつきあいしていた人と結婚できたら、彼がとても子供に人気のある方だったので、
楽しいだろうなあなんて妄想^o^していました。

体の病気になって、いつか治る、40歳までがんばるぞ!と思い、
30歳前半で付き合いだした彼との結婚と子育てを夢見て、体の病気と闘ってきました。

でもどんどん低下していき、40歳では統合失調症。
でも体は寛解!
まだ出産をあきらめずにいましたが、また体がダウンしてきたことにより、そろそろこの夢を手放す時期になりました。

私は本当に出産とは縁がなかったんだなあ、と思いました。

里親も望んでいましたが、統合失調症にはちょっときびしいみたいですね。
精神疾患があると。
もちろん、体の病気もあるし、お金もないし。無理です。

きっぱりとあきらめるしかなさそうです。

あ、でも統合失調症の方はあきらめること全然ないです!
私の知り合いやお仲間では、お子さんがいる方もたくさんいますし、
統合失調症でも大丈夫、絶対私はそう思います。
体さえ大丈夫なら、メンタルとうまくつきあいながら、やっていかれるかたが沢山いらっしゃいます。

私自身はあきらるしかないですが、それでも、とても幸せになることがあります。
今お仕事先で、16歳のお子さんの生活を援助しているのですが、その楽しいこと。
障害はありますが、その子の世界が純粋でかわいらしくて、すばらしくて、本当に幸せになります。

朝起きてもらって着替えや食事を見守る。仕事に送り出す。

そんな流れはまるで、きっと母の役目ですよね。
私の同級生にも16歳くらいの子供さんがいらっしゃる方もいます。
もうそういう年のお子さんの親になっている年齢なんですね。

いつもその子に感謝します。
そして、心配しながら、施設に預けているその親御さんも。

忙しい仕事の世界で、こんな気持ちをいただけて、感謝でいっぱいです。

もともと、中学生の時、施設で暮らしていた時も、小さい子供の面倒を見るのがとても好きでした。
かわいい子供たちがまわりに集まっているだけで、ほんわかしてました。
私が大人になっても、その子供たちが、私のことを、お母さん、お姉さんがわりに思ってくれて、お手紙をもらったりしました。
今はその子供たちも、立派に成長して、親になっている。素敵なことです。

直接親にはなれないけれど、そっと遠くから、お子さんの成長を見守れる人になりたいな、
今はそう思います。

統合失調症の方でも、出産の機会がある方々がたくさんいらっしゃると思います。
産まれたお子さんが元気で成長されますように、願っています。
そして世の中のお子さんが元気で幸せに成長されますように。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

2015年2月 6日 (金)

許し許され・・・赦しの中

今日はケアのパートに行ってきたmidoです。

このパートは一人でひとつの施設に入ります。利用者は3人。直行直帰。
私にとって、職場の人間関係がないのはとても楽です。
同じ仕事仲間とはノートで連絡し合います。

はぁぁあ、今日もいろいろノートに書かれていました。

先日私が利用者の変化に気付いたことを書いたのですが、本当はその前に仕事に
入ったときに気付かなければならないものでした。ミスです。
観察不足。
みなさんの足手まといになっています。
ごめんなさい。謝ってばかりのmidoです。

どんより、うにゃーーー><

でもでも、15年ぶりに働いていて、ブランクあるし、体もボロボロだし、
精神も病んだし、私にしては十分だよね、いつクビになってもいい、大丈夫大丈夫。
・・・と自分を慰めています。
こんな自分を許せない、死にたい、とずっと思っていましたが、もういいです。
これがありのままの自分。できなくて、頼りにされなくて、おまけにかなり浮世離れしてる。
でも、これでいいのだーこれでいいのだーー。(41歳なのでバカボン風)

許すこと。
それはとても大事だと思います。

私のブログ村の登録の紹介文に、児童養護施設出身、とわざわざ書いたのは訳があります。

私が一番先に許せた場所なんです。

私は、9歳くらいのとき、父の毎日の死に物狂いの暴力と暴言に、逃げて逃げて、へとへとになり、
ついに学校にいく力がなくなってしまいました。
母は仕事で別の場所に住んでいました。

母の前ではとても優しい父だったので、私や姉に父がしていることを、母は全く気付きませんでした。

学校はなんとなくいじめもありました。先生も暴力的な人で、怖かったです。
だんだん人が怖くなってしまいました。
いつ、父みたいに豹変し、暴力をふるわれるか、と思いました。
クラスメイトも怖くて怖くて、学校に行っても、押し入れに隠れるような奇行をしだしました。

学校に行かないでいたら、あっという間に、児童相談所に母親が相談した様子。
いきなり児童相談所の職員がきて、寝巻の私を3人で抱えて、施設に連れて行きます。

両手両足かかえられて、寝巻をめくりあげられて、パンツ丸見えで、はがいじめになって
連れて行かれた先、それが一番目の施設でした。

そこが私のとてもつらい場所でした。

先生の力任せの日々、虐待の数々、そこで先生に気に入られようと必死になっている子供たち。

虐待されていることが日常で、虐待とは気付かないでいることが多いのです。
ただでさえ、愛情とかを知らない子供も多いので・・・。
私も時間がたって、冷静になってから、普通の世界を知って、気付いたのです。

その施設の次の施設は良い施設だったのですが、最初の施設はとても深いところを傷つけられるものでした。

時がたって、大学に行って福祉の勉強をしたとき、なんと、その施設が、良いケアをしていると、紹介されているじゃないですか!
この施設から勉強しよう、と教授がおっしゃるではありませんか。

おまけに、一番その施設でひどい職員は、その施設の実績の後、県の児童関係のとても偉い人になっていました。

悔しくて悲しくて、本当にやり場のない気持ちでした。
そして、そのことを誰もいえませんでした。
高校の時、施設上がりでかなり差別されたので、大学は、施設のことはみんなにクローズだったからです。

その怒りと苦しみと恥ずかしさは、ずっと埃がたまるように、苦しみとして溜まっていきました。
時折、裁判を起こそうか、とも思いました。
今入っている子供たちにも同じことが受け継がれているのなら、戦わなければならない、と思ったこともありました。

でもそういう方向に行くには、自分には勇気がたりませんでした。
時にわなわな体が震え、怒りの矛先が見つからず、絶望して生きていました。

その施設を自分の中で許すことができたのが、体の病気をして、10年ほどたったころでした。

どうか、今あの施設にかかわっている子供たちが幸せでありますように。

先生も幸せでありますように。
そう祈りを持つことができたのです。

そのあと、だいぶたってから、父のことを少しずつ許せるようになってきたのです。

一番先に許せたこと、とても大事なことを忘れたくない、そういう場所になりました。

子供のころから十代もつらかったですし、私は変な子
(どこか施設にいって、帰ってきて、怪しい病気)で通っているので近所でも肩身狭かったりします。
小学校からこの地域にいなく、中学も普通の学校にいけず、学校の友達もいません。
たぶん、同級生は覚えてないのではないかなあ、と思います。

あんな施設に入ったから、人生が台無しになったなんて思っていましたが
でも、それでも、児童養護施設を許せたこと、
そして、父を大事にしようとしていること、それでもう十分だと思える時もあります。

・・・・本当は許すも許されるもなく、全部許された中で生かされている・・・
だからもういい。何もいらない。もういいや。そう思える時がたまにあるのです。

私もきっと何かに許され、赦され、生きているのかな、って思います。

苦しい時も多いけれど、いつかその苦しみを越えていけますように。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

2015年2月 2日 (月)

離れて行った人達へ

ほとんど使わない古い携帯に、毎朝「midoさんおはよう」とメールがきて、私は起きます。

相手は30代に6年くらいつきあった、昔の彼氏。
私は37歳の時、後戻りできないくらい体が悪くなりました。

もう治らないな、外見も姿形も変わっていく、と知ったとき、その人がこれから出会う人と
幸せになれるかもしれないのに、私とずるずるいてもだめだ、と思い別れました。
私の入院のお見舞いにもこなかったし、気持ちがいまいちなかったのを感じていたからです。

おまけに、いろいろわかる私は、その人が時々浮気していること、そして、実は本当
にもっと好きな人がいることをわかっていたのです。
それもつらかったので、わかれました。
好きな人と一緒になるんだよ、と言ってさよなら。
時々連絡が相手から来ていましたが、辛すぎて、返事はしませんでした。
そして3年過ぎました。

40歳、統合失調症になって、とてもショックを受けている中、その人からメールが時々きました。
もう私はヤケになって、病気のこと、おかしかったこと、変な行動をメールで伝えました。
病気のことをネットで調べてと、見てもらいました。
そうしたら二度と連絡がこないだろうと思ったからです。

不思議とこの人は、私の病気を知って、また前みたいに、前以上に、連絡をくれるようになりました。
私も拒否することをやめました。

関係は友達ですが、この人が他の方に出会って、結婚などしてしまったら、私はもっと寂しくなるなあ、
って、言うのですが、それでも友達だよ、って言ってくれます。
前好きな人とはうまくいかなかった様子。
そんな中私が精神の病気になって、ほっとけない、と思った様子でした。

好きな人がその人にできたら、私は離れるような気がします。
独身で公務員、お金もたくさんあるし、優しいので、誰かと出会いそうで、とても不安になります。
誰にも出会わないでって思う時もあります(笑)
ああ、自分勝手だよなあ、その人に「友達だ」と言われているのに・・・。
でも、そういう時がきたら、その人の幸せを喜べる私でありたいよなあ、と思います。
まあ、でも今は無理かな。

人が離れていくのは辛いです。
それが執着だとわかっていても。ずっとそばにいてほしいと思う。
離れていくと、見捨てられるようで、怖くなってしまう。
それぞれが自由なのに、私の病気を知って離れるのも自由。
好きな人ができて離れるのも自由。

もっと私が自由でいたいと思います。
今は毎日電話やメールをくれる元彼に感謝して、先を考えず、もっとさらさら生きていたい。


他の離れて行った人達もたくさんいました。
せっかくできた友達たち、古くからの友達、仲良くなりかけていた人達。
それらがなくなり、悲しくて悲しくて、泣き続けていました。

福祉に詳しい人ほど、余計差別がある、と、よく聞いてましたが、
私もそうでした。
他の人は、あまり病気が知られていなくてわからないのかもしれません。
危ない、危険、大丈夫なのか?そんな風に思うのは、少し詳しい人達なのかもしれません。

離れて行った1人は、障害者や身寄りのない人達の保証人になる会社で働く、もう偉い人。
かつては私と同じ職場で働く同僚でした。
病気なんなの?と何回か、きかれて、統合失調症、と答えました。
「あ、なんか、だめだね、まずいね(終わっているねみたいな感じ)」それが返事でした。
自分の受け持ちにも同じ病気の利用者さんがいるみたいで、それなのに、それかよっ。
そういうことして、給料もらっていて、その態度かよっ。
とても怒りが生まれました。

統合失調症の患者さんを社会復帰させる指導をしている方には、
相談で聞いたら、無視でした。大学の恩師でした。

そのほかにも態度がよそよそしくなった人などいますが、本当につらかったです。
泣いて泣いて毎日過ごしていましたが、ある時、ふっと、ありがとう、と浮かびました。

「私と今まで一緒にいてくれてありがとう」

そう浮かんだ時、ようやく楽になりました。
そして、もういいや、と少し思えるようになりました。

もちろん、まだ、少しいやな気持があります。心残りがあります。
でも半分くらい、軽くなったのです。

離れて行った人達へ、ありがとう。

そして、これから出会う人達へ、私が病気のことを引け目を感じたりしないで、
心から繋がれる関係が作れる毎日を、ずっと選びます。
その先に、よい出会いがありますように。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー