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2015年9月 8日 (火)

プロフェッショナル・働かなくても堂々と生きる

プロフェッショナルという番組を 時々みます。
仕事をする人々が、どうやってその仕事に向き合っているかの番組です。
一番好きだった回は、羽田空港を掃除をする、中国人の新津春子さんのことを
取り上げた時です。

清掃の大会で一位にもなったことがあるという彼女は、世界一きれいといわれる
羽田空港を支えているのです。

どんな汚れも、隠れた汚れも、多くの道具を自由自在に操り、きれいにする彼女。
その姿の奥に、何かとっても深い優しさがあふれてくるのです。
それはここを利用する方が、本当に気持ちよく幸せに過ごしてもらえるように、
そういう思いです。

トイレを真夜中に掃除する彼女は
「別に誰がやったかとかは、どうでもいいのではないでしょうか、ここを使った人が
きれいだなって思ってくれれば、それでいい」
と言いますし、(うう、陰徳なんて言葉では片づけられない)
「心をこめてやる」
と。なんて美しい人だなあ、と見とれてしまいます。

私は、どの仕事も尊敬しますが、個人的に一番尊敬するのは、清掃の仕事です。
というより、清掃じたいが好きなのかもしれません。
薬品などを使わなければ(粘膜が弱いので)、やりたい仕事かもしれません。

汚れと向き合う、というのは、今のこの環境、そして自分と丁寧に向き合う、
という感じです。そして、感謝の心で磨く。
その作業は素敵です^-^(どんな仕事もそうなのでしょうが)

私自身、ホテルにとまるときなど、いつもきれいに清掃して帰りました。
安心の場を提供してくれるということが、すごく嬉しくて(私にとっては貴重!)
どうせ掃除に入ることはわかっていても、私は今、できることをやりたいな、と
思った時、掃除しかないわけで、わりと丁寧にきれいにしていきます。

ある時、長く滞在した宿泊施設から、家に、贈り物
(レアなその土地の関係者しかもらえないお土産)とお礼の長い手書きの手紙が届きました。
びっくり!

本当に心をこめて掃除していただきありがとうございました。
ぜひまたきてくださることをお待ちしています。

そんな内容でした。
気持ちってやっぱり届くのですね、実は、たいして清掃には力を入れませんでしたが、
次の人が楽しい思い出をここで作れますように、と願って掃除しました。
私は、痛みでとっても泣きながら辛かったので、
なおさら、楽しいひと時を誰かが過ごせたらいいなと思ったのです。
この時は嬉しかったです。

心をこめて掃除をしてくださる、羽田空港の新津さんは、きっとこの喜びと
深い愛をいつも感じてらっしゃる人なのだと思います。
掃除の仕事、すばらしい^^!

主婦の仕事もすばらしいです。

主婦、というと、あまり仕事ということをイメージしずらいのですが、
家にいて、家族を見守り(この見守るというのはすごいこと!)
家族の体調や状況を判断し、食事や環境の整備、家計の管理、そして
みなにエネルギーを寄り添うこと、簡単にできることじゃ、ありません。

私は15年、偉そうに主婦なんてとてもいえませんが、家族の食事、予定、動き、体調、
環境整備、そういういつも流動的に動いていくものを把握して、エネルギーを
よりそわせていくという作業を経験し、これはすごいことだと思いました。
それに介護や育児が入ればもう、大変大変。
自分にエネルギーを注ぐ時間なんてもてませんよね。

私の母は、住む県でははじめて管理職になった女性として、その時代では高いキャリアを積んだ人です。
男性社会の中、やっていくことは相当強気でないといけなかっただろうし、
多少性格が強気すぎるのもしょうがないことだと思います。

ずっと母は専業主婦などを馬鹿にしていました。
子供たちの子育ては、祖母、そして私は施設でしたが、それがどれだけ大事がわからなかったようです。

母の生き方はプロフェッショナルに出るような生き方です。
自分を磨き、その世界でトップにたつ。

でもその母は、少し家事をすると、家事は認められない、何のために毎日洗濯をするの、
こんな認められない仕事いやだ、うつになる、辛い、プライベートの時間がない、
よく言います。
働いていた方がよっぽどまし!と。
(母の名誉のために言いますが、今は本当に家事を大切にやってくれます)

気分転換に少し家事をやるのはいい。でも毎日、それも家族の様子をみながら、
的確に動くこと、それはものすごいエネルギー、影で支える力だと思います。
子供心では、家にいてくれるだけで、たとえ家事をやっていなくても、
誰かいるのがどれほど安心か、と思うのです。

私は祖母がいたときは、学校から帰ってきた時、祖母が居間でテレビを見ながら
うとうと昼寝をしている姿を見るのが大好きでした。
あの安らぎがなければ、たぶん生きてこれていません。
なんて祖母はすばらしい仕事をしてくれていたのだろうと思うのです。

農業の仕事も尊敬。

農業は本当にすばらしいです。特に、土と向かい、食べるものを育てる、
農薬や肥料に頼らないで土を生かす、あの深い愛は、ちょっと私まだ及びません。
自然を相手にするというのは、ものすごい観察力、深い洞察、知識、がないと
できません。
私にはちょっと広すぎる世界ですし、尊敬です。

そんなこんなで個人的にすごいな、と思うものをあげましたが・・・・
社長も、ヒーラーも、医師も、事務の仕事もレジも弁護士も運送も、
知り合いにいますが、みんなやっぱりすごいです。
今の私の仕事もとても好きです。(全然仕事ができないやつですが^^;;)

でも、別に職業は別にその方の一部だと思うのです。
すべてを表すものではない、ほんの小さな一部。

この前、寄った図書館に地域の精神障害者の仲間で書いた新聞みたいなものが
おいてありました。

その中で、理念みたいなものに「働かなくても堂々と生きる」と書いてありました。
その理念は、賛否両論があるかもしれません。

その新聞を隅から隅までみると、みなさんの葛藤、生きてきて考えてきたこと、
などが長文で書いてありました。
ああ、なんて強くて、すばらしいのだなあ、あの番組と同じ。
その流れ、強さ、プロフェッショナルだ思いました。
その方たちが発した言葉の奥にあるものは、とても強くてすばらしかったです。

懸命に自分と向き合って、話し合って、悩んで、前を向いて、勇気を出して出てきた言葉。
うーん、こんな生き方をしたい、感動しました。

私は病気の15年の間、働く以外の道を示す人に出会ってきました。
貧乏でもいいから、豊かな生活をしよう、金で回る世の中を変えて行こう。
みたいな人の方は結構いるのですね。

ものすごいエリートをやめて、お金を分け与え、自然とともに暮らすことを
実践してみたい、といって、
障害者も病人も、助け合える社会を作るシステムに力を入れていた若者もみましたし、

働くの苦手な人が、水も電気もなくても、
何年も山奥のテントで自然に負荷をかけない生活している社会もありましたし、
半年遊んで、半年で稼ぐ人、
完璧自給自足で電気も家で発電し、生きている人、
得意なことをおしえ、そのお返しに得意なことで返していき、
収入が少なくても生きられるように工夫していく人達、
みんな貧乏だからそれでよし、みたいな世界もありました。

結局は、仕事をしていなくてもしていても、障害をもっていても、もっていなくても、
お金があっても、なくても、年をとっても、若くても、
日々、自分の内側を世界に映し出し、なるべく喜んで、幸せをみていけたら
いい人生なのだろうなあ、ああ、そんな風に生きたいなあ、できるといいなあ、と思う私でした。

 

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