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2015年9月

2015年9月30日 (水)

統失の人と一緒にお仕事

短期のお仕事は、私が途中熱を出したり、契約外のことがあまりに多く、
「とても時間がたりません」と何度もいったけれど、企画者にはまったく通じず。
行程案を提案しても全く無視><;;

これは本当にやれない、と思った私は、友人Aさんが
(時々連絡をしているけれど、すごく仲が良いわけではない)
私とはくらべものにならないほど仕事ができる方で経験もあったので、Aさんに、頼みました。

その方は、自分のできる範囲のものだけ引き受け、協力してくれました。
全部仕事が終わったあと、Aさんは、
「本当にすばらしい仕事に参加させていただいて、ありがとう!
幸せだったぁー」と伝えてくれて、出血が多く、機能も失われて、心も荒れ果て疲れ果てていた私は報われました。

Aさん、なんであんなに心配りがあるのだろう、
優しいなあうるうると涙。

仕上がった仕事が、地元のネットテレビで、
いまいちよい評価をつけられなかったので、すごく落ち込んでいたのだけれど、Aさんの言葉に癒されました。

そこでふっと気づいたのですが、その方もそういえば統合失調症だった^^;;

ようするに、この仕事は統合失調症の2人と、企画者1人の3人とで
やったことになります。

仕事が終わるまで、誰もそんなこと気づかなかった、というか考えていなかったような気がします。

Aさんは全部を引き受けず、しっかり断り、やれることだけ引き受けました。
これは見習わないとです。

同じ病気を持っている方って、学んだり
気づいたり、参考にしたりするところが多いのですよね。
昔からそう思ってました。

なんとなく、着眼点とか、ちょっと素敵なのですよ。なんでだろう。

私がたまに買い物をする精神の方の作業所も、とても雰囲気がよいです。
私が精神の病気になる前から、その方たちの雰囲気などいろいろ参考にしていました。

心配りというか、、、なんだろうな、丁寧なのですね。対応が。
マニュアルとかじゃない何かあたたかい感じ。

この作業所に私は通いたかったのです。
残念ながらそれはかないませんでしたが、今も買い物をするのが楽しみです。

急性期とか、陰性期は、Aさんもひどい状態で、とても人と交流できなかったそうです。
今でも時々鬱が重くなるみたいです。
けれど、Aさんと仲の良い、健康な友達が、
「統合って言われているけれど、一般社会の方より、よっぽど、正常でものすごくキャパシティがひろいよね。一般の人のほうがよほどおかしい人いるよ、統合って何だろうね」
と、よく言うのですよね。

素敵なAさんと仕事をさせてもらって、うれしかった今年の夏です(^^♪

2015年9月29日 (火)

月の光に照らされて

まんまるな大きな月に照らされて、月光浴を楽しみながら昨日は近所をひとまわりできました。

散歩をしたくても、一日の体力を使いきってしまうので、3カ月ほど、
我慢の子で控えていましたが、昨日は月のパワーにひかれてしまいましたよ。

月を見ていると、マイナンバーについて友達からメールがきました。
今は医療については医師会が反対しているしまだ大丈夫だよー、との返事でした。
でも医師会も、医療番号を作る、ということもすすめている人はいるし・・・。(マイナンバーとは別に)
うーん。どちらもあまり元気がでませぬ。でもマイナンバーよりいいですが。

私の職場の説明会は、国の進めたい方向だったので、
国の流れや希望は、現実にはその通りに行かない可能性も、あるにはあるのですが・・・・。
いろいろな法律がどんどん決まってしまう方向にちょっと不安だったのですね。

職場も、パートを含めて、産業医の元、健康管理をチェックして、
職員の健康、メンタルの病気も含め、ならないようにしていきたい、とのことだったし。

でも、考えてもしょうがないので、先のことは先にまかせて、
一番嬉しかったことに焦点をあてて、
友達がメールをくれたことにありがとう、と思いましたhappy01

統合失調症も早く完治する病気になぁれ!
ほかの病気と同様、統合失調症も完璧に治ってしまうと、
医療産業もいろいろなこともあるのでしょうが、
あれー、こんなに簡単に治ってしまうのね、みたいに、完治がもう隠せない事実となるといいですね☆

同じ病気で若い方をカテゴリの中でみかけます。
ピカピカです、本当に眩しいです。おばさん目線でごめんなさいですが。

こんな若い方たちが、これから、病気や症状に阻まれることなく、どんどん夢をかなえてほしいです。
今の20代、30代の方が私くらいの年齢になったとき、昔統合失調症だったんだよ!
そのまた昔は分裂病だったんだよ。こういう原因でなってたのだよ。
みたいな世界になるといいなー、なんてよく考えます♪

まあ、私はこの世にいるかわかりませんが^^;;でも嬉しいな、そうなったら。
そしてその時、世界が今より緩く、暖かで平和だったら嬉しい。
そんなことをいつもイメージして願う、おばさんなのです。

月を見ていると、もう一通、職場の昔の同僚からもメールが。
もうわすれちゃうじゃないのかな、と思うのですが、まだ覚えてくれているのですね。
同じ年なのに、姉さん、姉さん、と私を呼ぶのは、職場での関係がそうだったのでしょうが、
そんな昔のような言葉づかいではじまるメールにほっとします。

ご縁とは不思議です、仲の良かった人が、私が体を壊して、遊べない、
相談ができない、と去っていたり、一緒に勤務をしただけで、ずっと気にかけてくれたり。

どんな人と出会い、どれだけの縁が、その時にはわからない。
本当に親密になった人が、さらっと去っていくこともあるし、
時間がたって、また寄り添いあうこともあるし。

この先何が起きるか、どうなるか、そんなことよりも今、やわらかい月の光に照らされて、
2通のメールをいただき、あったかくなる、それが私にとって本当のこと。
よい夜を過ごしました。スーパームーン。

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今日もみなさんにとってよい日になりますように。

2015年9月28日 (月)

幸せが顔を出すとき

昨夜、お給料が入ったので、家族と外食に行きました。
行き先は、ボランティア先の方の蕎麦のお店。
以前も家族で出かけたら、とても喜んでくれて、ボランティア先のいろんな方に
midoさんが来た、と伝えてくれていたそうです。

mido家にとっては珍しい外食。

みんなには好きな時、外食行ってきたら?と伝えてあるのですが、
「外で食べてもおいしくなーい」
「帰ってきてから、イマイチ舌が(添加物とか砂糖で)気持ちが悪い」
と、もう全く行かなくなりました。

私がこの家に帰ってきたときは、
「midoのご飯まずい」といって、お弁当をかったり、
菓子パンを食べたり外食をしていました。
味覚はそうそう変わることはないので、段々と段階を変えながら、
それぞれの健康状態に合わせて、ぴったりの料理に移行してきたのですが、いまは、それぞれが自分の体が必要な食物がわかるようになったみたいです。
まあ、外よりおいしいのは、素材が抜群によいからなのですが。
(料理の腕は3流だけれどね)

でも私がこの前のような忙しい時に、「外食いってきたら?」といっても、まずいからだめ。
既製品のクックドゥーみたいな簡単味付けの
オーガニックバージョンを使って料理してもいい?
といっても、「まずい!」と食べてくれなくなったのは、
どんなときもどんなときも(槇原ぽく)作らなければで、大変になってしまいました><;;うれしい悲鳴です。

なので、昨日の外食も、味だけなら食べたくないというのが本音みたいです。
ただ、このお店の方が私は好きなので、顔を出したくて、できれば人数が多い方がいい!
ということで、付き合ってもらいました。

ご主人と二人で、ずっとお店をただひたすら毎日営んできた二人。
子供さんがいなくて後継ぎはいません。
御苦労があったことは、何も言わなくてもわかります。
それでも、奥さんは、おちゃめで、かわいらしくて、心からの喜びが伝わってきて、幸せな気持ちになりました。

この店の近くは海なのですが、震災があってから、海のそばの人達はどんどん
移り住んでしまい、今は閑散としています。

また、大型店がこの地方にきて、商店はシャッター街になっているので、
昔からのお店はとても苦しいようです。

でもそんなことは一切言わないのですけれどね。
毎日、蕎麦に向かい合い、毎日、できることをやっている、ブームがきたり、
ブームがさったり、その波にとらわれず、ただ淡々と日々生きてきて、
年を重ねてきたのだなあ、と伝わってきます。

私が来たことの喜びがお世辞ではないこと、ただ客が増えて喜ぶだけではないこと。来てくれて、本当にありがとう、そんな気持ちが伝わってきます。

それぞれがいろいろな事情があるなかで、ふっと触れあえる瞬間。
その人に触れて、喜びをお互い伝えあえる瞬間。

この時が過ぎれば、お互いにまた淡々と日常に向かい合う。
特別仲が良いとか、特別交流があるというわけでもない。
日々自分の道を歩く。

でも、おそばを通して、通い合う、この時間を共有する。
相手の人生と私の人生が、深く出会うこと。

この喜び。言葉でいえば幸せ、というものなのだろうと。

その瞬間に、胸の奥がしっとりとし、涙がでそうになります。

中秋の名月が雲の合間から見えたことを、お店の方と喜び、帰ってきました。
幸せも雲の中からふっと顔を出したようでした。

2015年9月27日 (日)

創意工夫と感謝でGOGO

今日仕事をしながら、「うん、いつ辞めることになっても感謝でいこう!」
と心から湧いてきました。

いろんなこと、理不尽なこと、いろいろあって、でも今までも感謝で終わり、
そうしてきたじゃない。
今やれることにさらなる感謝で、やっていこ☆と思ったら、
もっと楽しくなり、今日の仕事もにこにこ過ごしてきました。

ちなみに私はお局様にいじめ??られているようで
私の書いたものなどが次の日やぶられて、ごみ箱に捨てられたり
したことは、かなり一般的にはひどいことだったようです^^;;
そうか、そうだよね、今更周りに言ってびっくりされてしまいました。

ま、いいや、私は、自分がミスしていなくて、しっかり仕事をしていれば安心できます。

一番しんどいのが、自分にウソをついたり、ミスがあること。
それが一番ダメージが大きい。ミスはほんとダメージ大。

その方とは、ちょっと私と援助の方針が違うのだと思いますが、
上司に職場の援助方法を確認しているので、こちらに間違いはない。
いろいろ言ってくると、ちょっとめげてしまうけれど、しばらくしてまあ、いいか
と思えます。


前の方もこの方の攻撃でやめられたみたいなので、特別私だけが
原因でもなさそうですし。

まあ、いつ辞めてもいろいろ経験できたなぁー、
なんて感謝の気持ちになりました。

社会が変わったって、風向きが変わったって、
私の生き方を変える必要なんてないのだわ。

障害を持っていると・・・制限が大きいですね。
私自身、精神の病気や体の病気で日々生き抜くのは知恵が必要です。

私は精神障害の分野でもちょっと、追い出され気味だったのです。

行きたい作業所や就労移行もあったので、即面接にいったのですが、
その日程の仕事や、動きは体的に無理だったので、結局無理です、と断られてきたのです。
精神障害があるのに、作業所も就労移行もだめなんてTT
なので、これからもそちら方面に行くことは無理なのだと思います。
ディもダメだったし。

結局、今のパートの方が体に負担はかからなかったけれど、
それも短時間が限界。

今、午前、午後、夜、と3~4サイクルにあわせて、仕事やボランティアを組み合わせています。
そして、そのサイクルの間に、家事をします。

3サイクルの間に、それぞれ休憩時間は1、2時間は必須。
横になる時間、それから、食事、排せつが入ると、ケアが必要なので、
その時間が必須です。
そして、体を動かす時間は2時間、座位は3時間、とか、制限があります。

その制限を組み合わせて、なんとか1日をできることをやっている、という感じ。

でもその工夫の中では、一見、私が体や心の病気だと思う方は
いないと思います。
体は、やっぱり、食事、排せつなど、1日以上一緒にいるとばれちゃうかもだけれどね。

相手に病気だと思わせないくらいのペースが一番いいかなあ、と思います。

統合失調症の小説家、森実恵さんが、「統合失調症の患者さんは、
長く働く時間を持つことは疲れやすいから、
仕事をいっぱいやるオンタイムと休む時間のオフタイム、とわけるより
遊びと仕事を一つの同じテーブルにおきながら、オン、オフとわけなくても、
短時間でバイトをしたり、お茶してやすんだりの繰り返しで一日を生活をすることもいい」
というようなことをおっしゃっていたのを読んだことがあります。
(ちょっと正確ではありませんが、そんな感じ)

正社員を立派にされる方もいらっしるし、同じ病気でもいろいろな過ごし方で生活される方がいますが、
私は一日ぶっつづけ仕事で正社員とかは、まず、体がばれるし、心もちょっと厳しい。
けど、この森さんがおっしゃる感じならやれるかも?とヒントをいただきました。

自分のスタイルを見つけていけばいいのだ!
と思い続けています。

精神状態や身体状態が変わったら、また工夫をしていけばいい。
あちこちで断られたら、また考えればいい。

41歳、いまの仕事以外、社会に通用する経験なし、
義務教育レベルの知識もなし、
あるのは15年の闘病生活と、家族不和をひたすらまとめる経験のみ^▽^;
履歴書には、闘病研究科博士課程卒と書きたいくらい。
(病気の方はみんな、それぞれむきあっていて、それだけで博士号ですね)

体も心もワケアリ。女性としてもちょっとやばめの状態。

さてさて、どうやって生きていくか。

悩めばいくらでも悩むネタがあるのが、悩みだけれど(笑)
ありすぎるから、もう悩んでもしょうがないものね。

まあ、創意工夫と感謝で楽しくぼちぼちいきましょうかconfident

2015年9月26日 (土)

マイナンバー制度

midoの職場では、このナンバーで管理することの説明会が先日ありました。

私は任意でやらない方向を選んでいたのですが、会社側では
やらなければならないそうです。
そうなると、国の望む流れとして、いずれ、医療との連携になる場合、
健康状況、通院履歴、薬、などわかるとなると・・・。
私は手帳や年金の申請はしていませんけれど、診察を2カ月に1度、
しています。
薬はこの4カ月、ほぼ断薬状態で薬をもらいに行く必要もなくなっていますが、
やはり診察のため足を運びます。
医療保護入院も1回しています。

私は今の職場には、たぶん、資格を持っていたので、採用されました。
クローズです。
私自身、仕事は無遅刻無欠勤で、ミスは少しずつ少なくなってきましたし、
人より遅いのですが、丁寧さにおいては、誰よりも丁寧にやっています。

個人的には、賃金ともかく、幸せを感じて、感謝でやっています。
利用者の顔をみると、ホッとして一日が始まりますし、
とても沢山のものを頂いています。
援助技術は、かつて学んだ方法からの変化を勉強するのも楽しい。
ああ、援助ってアートだ、いつも思います。

病気になる前は、介護や対人援助、というものを、もっと社会的に確立させるために、
研究をしたいと思っていました。
そんな昔の情熱がふつふつとわいてきます。
体はやっぱりちょっと大変だけれど。

でも、そんなことも、病名の前では、やっぱりできなくなるのかな。
虚偽のことがわかる、その前に退職したほうがいいのかな。
なんとなく、このことが原因で退職するのって、ちょっとつらいなあと思ってしまいます。
元々、ほかの仕事を確立したら、負担を減らしてやめようとは思っていましたが・・・。

退職しても、また違うパートとかできるのでしょうか。
まだ医療連携は、未定ですし、まだ反対もあり、決まっていませんが、
先のことを、とても不安になりました。

つらいとこです。病名がわかれば、一発で首になると思います。
最初、「職場に被害を与えた場合、虚偽があった場合は
保証人とともに、責任をとる、」と、契約書も書きました。

(保証人は、私の病気も全部知っていて、訴えられてもかまわない、
midoちゃんの役にたてるなら、と近所の方がなってくれました)

職場の雰囲気上、体の病気はオープンしても、継続できるという感じです。
(実際働きながら、具合わるくなっても大丈夫みたいなので)
うつも、OKという感じです。
でも統合失調症はだめ、というのは肌でわかります。

もっと資格をとっていくつもりですが、それでも、職場が受け入れてくれないのなら資格も意味がないですよね。

秘密保護法といい、精神病を持っている人にとっては、厳しい世の中の現状です。

精神障害を持っている方、精神科に通院している方は、
いろいろな仕事につけなくなる可能性が高いですよね。

障害者の可能性が狭まる世の中は厳しいです。
誰がいつなってもおかしくないものなのに。

医療の個別番号がつくことについても、今まで私は、
薬とかの弊害などがない場合は、医療機関の一部では
統合失調症という病名を言っていないので、
これからわかってしまうことが苦痛です。

病院にあちこちかかる身としては、近所の病院とか、かかれなくなります><;;
あと、良い医者や治療法を探して、日本中を旅している私としては、
精神病があるということで、優先的にはみてもらえないときもあるのです。

統合失調症というものに、日常、とらわれることはそんなにないのですが、
こういう時、壁にぶつかってしまうことがあります。

付き合いの長い人達はオープンにできます。

でも、公の場、初めて接する場、機関、職場などは、ちょっと
病名だけが先行してしまい、理解がないところがあるので、
大変ですね。生きずらいな、なんて思うことがあります。

社会の壁にぶつからない生き方を選んでいけたらいいのだけれど、
と思うmidoです。

2015年9月16日 (水)

midoさんぽ 青山・表参道

最近有吉さんぽという番組をちらっと見た時があり、
「えーー、有吉って猿岩石からまだずっと出ているんだね、すごい」
と言ったら友達に、
「・・・・mido・・・・本当に浦島太郎だね」といわれまして、
竜宮城に行っていた間に世間は変わっていたと認識したmidoです。
や、竜宮城いってないし。

テレビをゆっくり見ている時間っていうのは、本当に皆無皆無!だったので、
猿岩石がまだフィーバーしていたころまで、きっとまったりテレビを見ることのできた時期なのでしょうね。
有吉が一度消えて、再ブレイクしていたとは知らなんだ^○^;;
てなわけで、ちょっとタイトルをパクリました。

仕事があって、後回しにしてしまった病院へ通院してきました。
精神ではありませんが。
場所が東京なのですねー。

人ごみは本当に苦手、電車も苦手な私は、緊張しました。
衣類をパンツもGジャンも、チュニック、ストールも大好きな
麻のものを身にまとい、麻星人となり、なんとか自分を好きな物でごまかし、
苦手な都会に繰り出しました。
(麻だと落ち着く私なのです)

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帰りは、近くの表参道を歩いてきました。
私は表参道や青山が好きです。
19の頃から病院に通っているのですが、時々、表参道を歩いて帰りました。

店舗は良く変わりますが、なんとなく、雰囲気というか、エネルギーは
落ち着いていて、東京にしては、強烈な変化を感じない所だなあ、と思います。
都会苦手な私でも、慣れているからでしょうか、そんなに疲れません。

まあ、場所がらブランドもすごいですが、当然私に縁があるわけではありません。
観察はしますけれど^m^

今回もとてもオシャレな方々やモデルさんを沢山みかけました。

Img_0002
かわいいモデルさんをつれて、テレビか何か撮影などしていました。
うっとり。

と、まあ、そんなものを通り過ごし、行く先は、オーガニックショップやオーガニックカフェ^^;
そう、表参道、青山は、オーガニックショップの聖地なのです!
だから用事があるのです。

本当はカフェなどで、探検をしたかったのですが
私はいつもどこにいくのも、弁当と水筒持ち==;;

倒れた時の、お泊りセット、そして予備の食事も。と準備万端なので、
いくら自分のために少しお金を使っていいといわれても、
飲み物すらおなかに入りません。
病院で先生とご飯をしたら、もういっぱいでした。

結局、家族に朝も昼も夜もご飯つくれなかったので、家にあるのは作り置きした冷凍おかずのみ。
ちょっと家族にすまないな、と思いがよぎりました。
せっかくだから目新しいものを食べてもらおうと、
「オーガニックのお弁当を買っていくねー!」と連絡したら、とても喜んだので、家族の夕ご飯や、調味料を購入してきました。

オーガニック系、野菜系は、今ちょっとだけ関わっている仕事の一つで、
これを広めていくにはどうしたらいいか、考えながら帰ってきました。

私も20歳くらいのときは、無農薬野菜なんて、良い調味料なんて、
金持ちしか買えない、あほか!と思っていたのです。非常に高く感じました。

姉との暮らしだったので、私が学生の中、二人分の生活費をまわすのは苦しかったですね!
東京の住まいは高いし。
なので安い野菜と調味料で、それでもご飯は豊かにできるよう、ずっと自炊していました。
見た目はおいしそうにできているご飯を、喜んで二人で食べてきましたが、
でもその長い食生活が姉を病気にし、化学物質過敏症にまでさせてしまい、本当に申し訳なかったです。

オーガニックの生活は、着るもの、食べるもの、環境、全部見直すため、初期費用は必要だけれど、結局自炊をして、手作りにこだわれば、一食200円ほどで充分豊かな食生活ができる。
深刻ではない方なら半年で充分体質が変わる。
縁があって、一緒に住んだ方などが、私と同じ材料でつくったもので、元気になって、味覚が変わるのを見て、時に性格も変わるのを見て、食べ物ってやっぱり影響するんだなあ、とよく感じていました。

外でも食べたくなくなるらしく、節約になるし、元気になるし、実際はかなり安いんだよなあ。
でもちょっとその生活にはコツがいるのだよなあ。
実際、ショップで売っているものは高いし、カフェのランチなども高い。
ショップもカフェもたいして利益は出ていないのだけれど、物がいいとそうなる。

何かヒントがないのかな。
どうやったら農家さんに貢献できるのかなあ。

まあ、そんなことを帰りの新幹線でうとうとしながら思っていたところ、
おじさまの座っている奥の席に座ろうとしたリクルート女学生が、
電車の揺れに足をとられ、思わず、
おじさまの太ももに尻もちをついて、大接近していました。

Img_0003

おじさま、女学生のお尻と胸に大接近で、みるみる真っ赤になっていました。

オイオイ殿方の妄想のような展開だな。
・・・・なんだか少年青年漫画みたいなことって本当にあるんですね(笑)


女学生はおじさまにふくよかなお尻や胸を受け止めてもらったのを、
全然気にしていなくて、その後おじさまの隣の席に座り、すぐスマホをいじってましたが、おじさまは、その後、感触が忘れられない様子で、幸福そうでした^m^

鼻の下、のびすぎ!おじさまっ。
「ラッキー!」と言っている心の声が聞こえすぎ!

今回の東京散歩はおじさまののびのびに伸びた、鼻の下が
一番強烈な思い出となりました^▽^;;

とにかく、無事に帰ってこれてよかった。
今はどこで何がおきるかわからない時代です。

その場所にたどりつけること、帰ってこれること、ひとつひとつがとってもすごいこと。
奇跡って本当毎日だと実感します。

さて、この散歩模様を、今日、電話で打ち合わせをしながら、
落書きしてしまったのでアップします。

また今月、東京砂漠にいかなければならないので、人間観察とショップ観察してきます^m^

くだらないイラストと日記読んで下さりありがとうございました。

2015年9月14日 (月)

頑張らない対策本部長

台風の被害がとても大きいですね。
救助を待っている方々の不安、恐怖、水の恐怖、
避難所の大変さ、亡くなった方のそれまでのつらさを思い胸が痛みました。

恐怖や痛みを経験する方が世の中にいなくなればいいな、
私はいつも思います。

災害があったとき、どこでもドアがあればいいのに、小さいころからいつも思っていました。
届けられるのはお祈りと平安の気持ちだけ、どうか被災された方が早く安心でき、
力を持ってくださいますように。

私自身も日々、体調の変化にショックを受けますが、できるだけ丁寧に
自分の気持ちを汲み取り、平静に落ち着くことを心がけます。
祈りをこめていきます。

朝、私が仕事に行く前に、母が、
「もう頑張らなくていいよ、ゆっくりしな。それから肌の手入れとか色々
時間を作って、少しするといいよ。10年以上、ほとんど寝ていなくて、
顔も洗わず、手入れもせず、それじゃあ無理ない。お金を少し自分に使いな」
と言ってくれました。

この4か月の疲労で、ほっぺの方まで毛穴が開き、ちょっとご老体の上に
肌にもあらわました。
まあ、私としては、その他いろいろのほうがよほどやばくて世間的には気になるのですが^^::
(母は肌美人、つやつやです)

こんな状態で肌の手入れなんて、なんだか意味あるのかな
今さら、肌の手入れなんて、手遅れなような、ちょっと勇気がいる気持ちです。

頑張らないでいい、と言われて、少しほっとしました。
それで、ああ、頑張らなくていい、ってどんなことなんだろうなぁ~、と今日考えていました。
自分のためにお金を使うって何に使おう・・・。

私はほしいものはとくにないのですが、医療費に一年で100万くらいかかってます。
今までの年月を思うと相当な額ですね><
そのために働いているようなものかも。
そういうのを福祉制度で援助してもらうとか。
あと、精神のほうも、病院まで歩いて1時間くらいかかるものなあ、
忙しいときや具合悪いときはいけないものなあ、とか。
手帳をもらってタクシー券があったら本当にいいのだけれどなあ。

今まで、事情があって、きっとたぶん、人から見れば、貯金は全くないし、
私は経済的には裕福ではないのだけれど、
(自分では、住む場所があって、寝るところがあるから、全然恵まれていると思うけれど)
申請などできずにいました。
障がい者手帳や年金も周りが今、okであれば、頭にいれていいのかなあ、と。
ただ、タクシー会社など、みんな知り合いなので、やっぱりタクシー券
もらっても無理なのかなあ。
家族が嫌がるかなあ・・・などなど、うーん、申請も悩み中。

今のままでも十分には十分ではあるのです。
私は、完全に困ったとき、大してお金や家や持ち物がない人たちが
損得を全くなしに、心からすべてをなげうって助けていただいた経験があります。

自分も寒いのに、もっと凍えている私に一枚の毛布を分け与えて
くれた人たちの気持ちは、ずっと引き継いでいきたいのです。

そういう人たちは、いまお礼をしようとしても、自分に返さなくていいから、
必要だと思う人に使って、と必ずいいます。

なので、そういう恩返しは、一生かけて、必要な方に渡していきたいし、
自分もそれが一番大事かなあとおもっているのです。
あと姉も貯金がないので、たくわえをさせてあげたいな、
と思っていました。
それを優先はするけれど、でも、でも!その中でも少し、
自分の使うお金を持つことを決意。それも病気対策以外で!

これから家で仕事になるものを模索しながら、のんびり挑戦してみます。
結果は6カ月後にはでると思います。
これがもし少しでもうまくいったら、またここで書きたいな。

シェアすることがみなさんのお役に何か立つかわかりませんが・・・。
ちょっとでもだれかに役に立てたらいいなぁ。
私ができるということは、余裕でだれでもできることなので^^

まあ、まずはゆるりと挑戦。

ではでは、本日より、頑張らない対策本部長(気分はなぜか本部長)のmidoでした^^

2015年9月10日 (木)

いつだってハッピーはすぐそこ

昨夜、寝る前に、いろいろなことを静かに感じていました。
この時間は私にゆとりや余裕を与えてくれます。
そうしたら、ブログに書いていた私の心模様が浮かび、
今私とご縁を結んでくださっている方に感謝が足りないなあ、って。
今この状況に感謝がないなあって。

と感じたのです。

ブログも私はあまり今のブログのアクセス解析や足跡が
よくわからないのですが、見てくださっている方がいらっしゃる。
まあ、つたない文章で、個人的偏った考えで、
いろんな気持ちを湧かせてしまうかもしれませんが、
とてもとても感謝なのです。

以前、私がやっていたブログの繋がりの方の素敵なおじさまは、
なんだかいつも超短文のブログなのに、とてもあたたかいブログを持っていました。
いつだったか、その方が、「ブログを開けた時、まず、足跡ひとつひとつに、
お礼をする」とおっしゃっていたことを読んだことがあります。

自動巡回も適当もアンチも(その方はないと思いますが)あるだろうに、
すごいなあ、ああ、この余裕、心の窓の広さ、と思いました。

私はそれ以降、余裕のあるときは、心でお辞儀をする気持ちを持つようにしてきました。
でも統合失調症になって、まだそんな余裕がなかなか生まれてこないのですが、
昨日の自分を感じて、少しずつ、心の窓があけていきたいな、と思いました。

ボランティアをしていると、心に余裕が生まれるのです。
勉強もあるけれど、とても関わりの中で豊かな気持ちになれます。

そんな恩恵を受けているのに、その中の人間関係でごちゃごちゃ考えなくても
いいんですよね。

また、ボランティアはないのですが、職場で、
人間関係って難しいなと思うことがちょっと積み重なってあったのです。

本当すみません、私ってだめね人間関係がなんて下手、
って思ってしまうことが多々あったので、
まだ心が切り替わっていなくて、ちょっと気持ちが途中から
なんだかカサカサの心で文章を書いてしまいました。

気付けば空はとても高いし、風は冷たく、静かになっている。
心の窓を広げて、ゆったりと過ごしたいな、と思います。




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いちごの香り
水玉模様の気分
チェックなステップ

どれも これも 大得意

甘いアイスクリームを片手に
いつだってお気に入りと一緒


いちごな優しさ
しとしと水玉雨
彼のチェックのシャツ

どれも これも 大歓迎

仲良しのワンコと一緒に歩きながら
いつだって大好きなものは スイート



いちごの酸っぱさ
水玉のようにこぼれる涙
チェック模様みたいな心のもやもや

苦手なものもあるけれど・・・
でもそれもいつかラブリーに変わる☆

さあさあ ゆけゆけ☆ガール

お気に入りのバックと靴で 好きな所に出かけよう

いつだってハッピーはすぐそこ

(学生集団たちやキラキラ女子タイムをそっと見ていると、
こんな気分になります^m^)

2015年9月 9日 (水)

ボランティア再開・ディケアはハードル高い!

台風が過ぎました、まだ大雨のところがあるようですね。
被害が少ないとよいのですが・・・・。

台風が過ぎた後、庭にトンボが30匹以上ぐるぐると飛んでいました。
不思議、フェンスを隔てた隣の家の庭も、近所にも一匹も飛んでいないのです。
なぜ家にだけいるのでしょう?
なんだかうれしくなって、トンボと一緒にダンス気分(^^♪
これが離島に住んでいたら、みんなたぶん、一緒に踊ると思います(笑)
私も踊るだろうな~。

もう秋ですね。

今日は、ずっと時間がとれず、病院に行けていなかったので、一日かけて、
東京に行くつもりでした。
でも台風、こちらもかなり暴風雨、電車がとまったら怖いので延期です。

「絶対midoちゃん、治らないよ」というお医者さんなので、
ネガティブを跳ね返す元気がなかったからちょうどよかったかもです。
本当は一刻も早くいかなければならないのですが。
まあいいや^^;;

なので、ボランティアに顔を出してきました。
先日、ボランティア先の方が夢に初めて出てきて、朝起きたとき、
「たぶん、心配してくださっているんだなあ」と感じていました。
そのあとすぐその方からメール。
心配しています、とのこと。

その方の妹さんは、統合失調症で本当にすさまじい状況だったそうです。
最初の発病からは、すぐ働けるようになったそうですが、次第にまた再発。
最後は入院先で、30代で心臓発作でなくなりました。

そんなこともあり、ボランティア先のこの方は、とても気にかけてくださいます。
あと、薬を絶対飲むな、ともよくいわれます。
どうも妹さんは薬が負担で体を壊したようです。

4か月近く休んだボランティアも、また農業の資料作りなどを頼まれて
ボランティアを再開することにしました。

このボランティアが一番楽なのです。

退院した後、ディケアに通おうと思ったのですが、いろいろ挫折しました。
まず、利用料があるということ。
それが賛成を得られませんでした。

催し物などは、カラオケ、バイキング、ボーリング、スポーツ・・・・
うーん、とってもやってみたいことばかりです。

でも、実は私、青春時代にそんなものがほとんどなく、施設内だったので、
普通に学校も行っておらず、
社会に出たときは、仕事と看病と、家事と、闘病ばっかりで、
生きて行くのに必死だったので、遠い未知なる世界なわけです。

友達とわいわいした経験も、あまりなく、どこかに遊んだ経験もそんなにないのですね。
たぶん、疲れてしまうなあ、と思いました。
おまけに体の病気が結構大変です。

料理を作っても、お茶が出ても、ジュースが出ても、
みんなでバイキングを食べに行っても、頻度が高いと食べれません。
お茶やお菓子くらいなら、月に2,3回なら、なんとか体を立て直すことが
できるから、一緒に食べることができますが、
ケーキや、ごはんとなると、絶対無理です。
おまけに歯もおばあさまだし・・・。
ああ、みなさんの雰囲気を壊してしまいます。

入院中も、私より少し同じくらいか、若い方たちとは、まったく話があいませんでした。
お子さんがいらっしゃる方はわりとお話が進んだかな?
とにかく、若いメンバーたちは、相手もこちらと居るのはつまらないという感じでした。
本当に話す人がいないときだけ、こちらに話に来るという感じかな?
私は話題性がなく、一般的に本当~につまらない人なんです^^;;

それでも退院時に「いてくれただけで、助かった」とか、
「本当にあなたずっと見ていたけれど、素敵」とか、声かけてくれた
患者さんは神ですねTT
やっぱりこの病気の患者さんは優しい。

私は、15年ほとんどテレビも雑誌も買い物もしてきませんでしたし、
20代前半までは同僚とごはん食べたり、旅行したり
少しはお付き合いしたのですが、もうそんな経験は空のかなたへ・・・。

結局入院中に仲良くなったのは、40、50代くらいの方々ばかりの男女の方。
それから、どこへいっても「midoさん、midoさん!」とついてくる、
ずっと好かれていた認知症の方。
(実はこの方と一緒に、手をつないで歩くのが一番楽しかった)

相談などは乗りましたが、盛り上がっているおしゃれ話、恋の話、
芸能人の話、ファミレスやコンビニの食べ物の話、人の悪口やうわさ話、
・・・全然こちらにふられませんでした(笑)
ていうか、ふられても、こたえられませんね、きっと^^;;

女子の仲間に昔から縁がないのですよね~。
なんていうか、女子って本当、キラキラピカピカしていて、こちらもうっとりしますが、
全然私とは違う世界かもです。
もともと女子が好きな物が、本当にうとい人なので><
一生懸命合わせても、相手がつまらないのです。

そんなことを落ち込んだときもあったわけです。
私は会話が上手ではないのですし、
本当につまらない魅力ない人間だなあ、と思うことは今でもまあ、多々あるのです。
まあ15年普通の世界と離れていたので、
ブランクがあるのもあるけれど、元々の性質もあったのでしょう。

てなわけで、私は、デイケアは通っても、
きっとかなり浮いてしまうのだろうなあ、としり込みしてしまったわけです。
別に意思疎通ができない人がいたりすることは、元々の性格上、私は全く気にかかりません。
それよりも、そのスケジュールについていけるか、人の中についていけるか、
心配だったわけです。

先生には、体の病気があるから、デイケアは、対応はできません、とも言われました。
それで、私は昔から所属しているボランティアに退院後、毎日通うことにしたのです。

毎日1時間からはじめて、半日、そしてたまに一日、
家の、洗濯、掃除、家事をやりながら、少しずつ人の中にいることに慣れていきました。

まだ私は同年代のキラキラママさんや、若い大学生たちがやってくると、
ちょっと引いてしまうところがあります。
もちろん、このボランティアはみなさんよい方で、私の体の病気は入ったときから
知っているし、精神の病気ももうみなさん知っています。

ありのままでいいのですが、やっぱり、ちょっと会話は苦手ですね^^::
車で送っていただく時など、かなり緊張が走ります。
愚痴で大盛り上がりの時も、そっと身をひきます・・・。

まあ、にこにこして、お茶入れて、気をきかせていればいいので、
井戸端会議のときはそれに徹しています。

ブログ村の方々を見させていただくと、いろいろ詳しいし、物知りだし、
お出かけしたり、自然にお話しされていて、すごいなー、と思ったりするわけです。
人とわいわいできるのも、話題を提供できるのも、誰かと会話するのも才能ですね。

私もいつかそういう才能ができるでしょうか?
・・・・むむむ、無理かもですねー^m^

まあ、私は私のペースで、私でOKとおっしゃってくださる方と
縁を持ちながら、大切に過ごしたいと思います。

2015年9月 8日 (火)

プロフェッショナル・働かなくても堂々と生きる

プロフェッショナルという番組を 時々みます。
仕事をする人々が、どうやってその仕事に向き合っているかの番組です。
一番好きだった回は、羽田空港を掃除をする、中国人の新津春子さんのことを
取り上げた時です。

清掃の大会で一位にもなったことがあるという彼女は、世界一きれいといわれる
羽田空港を支えているのです。

どんな汚れも、隠れた汚れも、多くの道具を自由自在に操り、きれいにする彼女。
その姿の奥に、何かとっても深い優しさがあふれてくるのです。
それはここを利用する方が、本当に気持ちよく幸せに過ごしてもらえるように、
そういう思いです。

トイレを真夜中に掃除する彼女は
「別に誰がやったかとかは、どうでもいいのではないでしょうか、ここを使った人が
きれいだなって思ってくれれば、それでいい」
と言いますし、(うう、陰徳なんて言葉では片づけられない)
「心をこめてやる」
と。なんて美しい人だなあ、と見とれてしまいます。

私は、どの仕事も尊敬しますが、個人的に一番尊敬するのは、清掃の仕事です。
というより、清掃じたいが好きなのかもしれません。
薬品などを使わなければ(粘膜が弱いので)、やりたい仕事かもしれません。

汚れと向き合う、というのは、今のこの環境、そして自分と丁寧に向き合う、
という感じです。そして、感謝の心で磨く。
その作業は素敵です^-^(どんな仕事もそうなのでしょうが)

私自身、ホテルにとまるときなど、いつもきれいに清掃して帰りました。
安心の場を提供してくれるということが、すごく嬉しくて(私にとっては貴重!)
どうせ掃除に入ることはわかっていても、私は今、できることをやりたいな、と
思った時、掃除しかないわけで、わりと丁寧にきれいにしていきます。

ある時、長く滞在した宿泊施設から、家に、贈り物
(レアなその土地の関係者しかもらえないお土産)とお礼の長い手書きの手紙が届きました。
びっくり!

本当に心をこめて掃除していただきありがとうございました。
ぜひまたきてくださることをお待ちしています。

そんな内容でした。
気持ちってやっぱり届くのですね、実は、たいして清掃には力を入れませんでしたが、
次の人が楽しい思い出をここで作れますように、と願って掃除しました。
私は、痛みでとっても泣きながら辛かったので、
なおさら、楽しいひと時を誰かが過ごせたらいいなと思ったのです。
この時は嬉しかったです。

心をこめて掃除をしてくださる、羽田空港の新津さんは、きっとこの喜びと
深い愛をいつも感じてらっしゃる人なのだと思います。
掃除の仕事、すばらしい^^!

主婦の仕事もすばらしいです。

主婦、というと、あまり仕事ということをイメージしずらいのですが、
家にいて、家族を見守り(この見守るというのはすごいこと!)
家族の体調や状況を判断し、食事や環境の整備、家計の管理、そして
みなにエネルギーを寄り添うこと、簡単にできることじゃ、ありません。

私は15年、偉そうに主婦なんてとてもいえませんが、家族の食事、予定、動き、体調、
環境整備、そういういつも流動的に動いていくものを把握して、エネルギーを
よりそわせていくという作業を経験し、これはすごいことだと思いました。
それに介護や育児が入ればもう、大変大変。
自分にエネルギーを注ぐ時間なんてもてませんよね。

私の母は、住む県でははじめて管理職になった女性として、その時代では高いキャリアを積んだ人です。
男性社会の中、やっていくことは相当強気でないといけなかっただろうし、
多少性格が強気すぎるのもしょうがないことだと思います。

ずっと母は専業主婦などを馬鹿にしていました。
子供たちの子育ては、祖母、そして私は施設でしたが、それがどれだけ大事がわからなかったようです。

母の生き方はプロフェッショナルに出るような生き方です。
自分を磨き、その世界でトップにたつ。

でもその母は、少し家事をすると、家事は認められない、何のために毎日洗濯をするの、
こんな認められない仕事いやだ、うつになる、辛い、プライベートの時間がない、
よく言います。
働いていた方がよっぽどまし!と。
(母の名誉のために言いますが、今は本当に家事を大切にやってくれます)

気分転換に少し家事をやるのはいい。でも毎日、それも家族の様子をみながら、
的確に動くこと、それはものすごいエネルギー、影で支える力だと思います。
子供心では、家にいてくれるだけで、たとえ家事をやっていなくても、
誰かいるのがどれほど安心か、と思うのです。

私は祖母がいたときは、学校から帰ってきた時、祖母が居間でテレビを見ながら
うとうと昼寝をしている姿を見るのが大好きでした。
あの安らぎがなければ、たぶん生きてこれていません。
なんて祖母はすばらしい仕事をしてくれていたのだろうと思うのです。

農業の仕事も尊敬。

農業は本当にすばらしいです。特に、土と向かい、食べるものを育てる、
農薬や肥料に頼らないで土を生かす、あの深い愛は、ちょっと私まだ及びません。
自然を相手にするというのは、ものすごい観察力、深い洞察、知識、がないと
できません。
私にはちょっと広すぎる世界ですし、尊敬です。

そんなこんなで個人的にすごいな、と思うものをあげましたが・・・・
社長も、ヒーラーも、医師も、事務の仕事もレジも弁護士も運送も、
知り合いにいますが、みんなやっぱりすごいです。
今の私の仕事もとても好きです。(全然仕事ができないやつですが^^;;)

でも、別に職業は別にその方の一部だと思うのです。
すべてを表すものではない、ほんの小さな一部。

この前、寄った図書館に地域の精神障害者の仲間で書いた新聞みたいなものが
おいてありました。

その中で、理念みたいなものに「働かなくても堂々と生きる」と書いてありました。
その理念は、賛否両論があるかもしれません。

その新聞を隅から隅までみると、みなさんの葛藤、生きてきて考えてきたこと、
などが長文で書いてありました。
ああ、なんて強くて、すばらしいのだなあ、あの番組と同じ。
その流れ、強さ、プロフェッショナルだ思いました。
その方たちが発した言葉の奥にあるものは、とても強くてすばらしかったです。

懸命に自分と向き合って、話し合って、悩んで、前を向いて、勇気を出して出てきた言葉。
うーん、こんな生き方をしたい、感動しました。

私は病気の15年の間、働く以外の道を示す人に出会ってきました。
貧乏でもいいから、豊かな生活をしよう、金で回る世の中を変えて行こう。
みたいな人の方は結構いるのですね。

ものすごいエリートをやめて、お金を分け与え、自然とともに暮らすことを
実践してみたい、といって、
障害者も病人も、助け合える社会を作るシステムに力を入れていた若者もみましたし、

働くの苦手な人が、水も電気もなくても、
何年も山奥のテントで自然に負荷をかけない生活している社会もありましたし、
半年遊んで、半年で稼ぐ人、
完璧自給自足で電気も家で発電し、生きている人、
得意なことをおしえ、そのお返しに得意なことで返していき、
収入が少なくても生きられるように工夫していく人達、
みんな貧乏だからそれでよし、みたいな世界もありました。

結局は、仕事をしていなくてもしていても、障害をもっていても、もっていなくても、
お金があっても、なくても、年をとっても、若くても、
日々、自分の内側を世界に映し出し、なるべく喜んで、幸せをみていけたら
いい人生なのだろうなあ、ああ、そんな風に生きたいなあ、できるといいなあ、と思う私でした。

 

2015年9月 4日 (金)

統失から2年目、統失の時の症状1

今年の秋で統合失調症で医療保護入院をして2年目を迎えました。

今思い返しても辛いです。病気の中でまだ、病状を思い起こしそうで
不安な方は読まれないほうがいいかもしれません。
私もまだ病気の症状が抜けた後のころは、なるべく病気の説明や、
病気の部分は怖くて読むことをやめてました。
陽性症状につられそうになるのですね。
だから、この日記でどなたかが、怖い、辛い思いを刺激されないように願います。

統合失調症になる前、半年間、高熱が出て、脳炎になりました。

脳炎になった原因、ことの起こりは、
島に住んでいた時、同じ敷地内に住む、大家さんが死にそうな猫を連れてきて、
誰も面倒を見ず、私が世話して、余命より生きて亡くなりました。
その後、また病気の猫を大家さんが連れてきて、結局私が世話して亡くなって、
また新しく連れてきて、何カ月かたち、病気発覚。
その猫は、寄生虫を沢山私のアパート前で嘔吐、吐血。
でも病院にいったり、ケアの後、回復。死ぬところだったその猫は奇跡的に元気です。
猫は予防接種などしていなくて、それをずっと頼んだのですが、大家さんはしないとのこと。
いろいろトラブルがありました。
結局、私が猫がもっていたトキソブラズマに感染して脳炎になったのです。

(トキソプラズマは、統合失調症の原因になる可能性があるという説があります)

何度も、「私は世話できない」と断ったのですが、どうしても、猫が頼ってきて、
家にきてしまい、具合の悪い猫をほっておけなかったのです。
本当に私は馬鹿なんですね><
あのままだったら、猫は死んでいたのでしょう、私は命ギリギリです。
そうすればよかったのでしょう。

でも、誰も見てくれる人がいなくて、(大家さんは、ただ飼いたいだけで、ほとんど家にいなかった)猫が私になついて、夜中私の家にずっと泣き叫んで助けを求めてくることを無視できなかったのです。
猫が助けを求めに来ないのなら、放っておくのですが・・・。

(でも猫が治りかけの最後の方で、私の家の前で泣き叫んで、助けてくれと頼む猫の状態を見て、ヘルプに来てくれた人も、
「私もこれは放っておけない、鬼畜にならないと無理」と言っていました)

とにかく死にそうな猫を見ても、ほっておけなかったのです。
本当に馬鹿なんです。自分でもわかっています。

昔仕事をしていたときも、通勤の時、職場の前の道路にひかれていた猫を、
もう亡くなっているのに、車にひかれつづけているのがとても心がいたくて、
コートの中にくるんで、自分の職場の(広い福祉法人だったので)すみに
うめたことがあります。

その時も、馬鹿だなあ、のろわれるよ、とか同僚に言われたものです^-^;;
同じ職場の彼氏には一番馬鹿にされました。
でも多くの人は、とても優しくて、「連れてきてよかったね」と言ってくれ、
事務の男性の方がうめてくれたのです。
私は粘膜の病気です。免疫も低いです。
猫に本当は触れません。自分の命だって大事です。
でも、どうしても放っておけないのです。

そんな性格で、島でもやっぱりお世話をしてしまい、猫は回復。
猫が毎日お礼のように家にきました。
でも、もう元気になったのなら、触る必要はなく、相手にせず、体を守りました。
その後高熱で動けなくなり、家に帰省します。

高熱が下がり、今度はお尻の粘膜が腐ってきて、痛さのあまり、3日寝れず、
少し寝て、また3日寝れずの繰り返しでおかしくなります。

自分の食事、洗濯、身の回りのこと以外、ほとんど部屋から出ず、耐えることにしました。
何か愚痴を言ったら、ネガティブにつられて、私はおかしくなってしまう、そう思いました。

きっと治るはず、意識をあげて、エネルギーを上げれば、この痛さに耐えられるはず。
周りの愚痴は聞かない。
周りに影響されないと決めました。

ただ、あまりに辛くて、空想の中で、神様に話をするようになりました。
大丈夫、大丈夫、治る治る。大丈夫ですよね、ありがとう、神様・・・
そうやって話しているうちに、声が返ってくるようになりました。
その声は、『大丈夫』と言ってくれました。

だんだん、声は多くなり、
『病気の治し方を教えるよ』と声をかけてきました。
この運動をする、ここをマッサージする、呼吸法、光をおろす方法。
食べるものを変える、感謝する方法。
声はそんなことを教えてくれました。

私は小さいころから、亡くなった人で見たことのない人の特徴やしゃべり方、
会ったことのない人で、その人がもっている病気、昔その場所で起きた出来事、
そういうものが聞こえたり、見えたりして、昔から統合失調症だったのかもです。
でも、本当に2歳とか3歳からですが^-^;;

ただ、実際、見たもの聞こえたものが、本当によくあっていたので、
なるべくその部分は隠してきましたが、縁があって、こういう状態を知った方は
そういう体質なのだ、第六感があるのだと素直に思っていたようです。
だから病院いけ、ともいわれなかったのです。
不思議なこともあるもんだ、何かあったら、midoに聞いてみよう、という人もいました。

でも実は、それは私にとても負担で、とても辛いことでした。
相手の痛みや、苦しみも自分に感じてしまい、狂いそうになることもあったのです。
声をあまり聞かないようにしよう、見ないようにしよう、そう感じていました。

なので、この統合失調症の症状の時も、声が聞こえたことには驚きませんでしたが、
聞くが聞かないか、迷いました。
ただあまりに辛かったので、(何日も寝ていなく痛みが続くと、あははは、と笑いだしたり
本当に精神がいってしまうのです、すでにその状態でした)
その声に従いました。

声の大きさ、占領される感じ、そういうものは、今までよりも、
とても強かったのは覚えています。

ものすごい気が狂うほど痛かったものが、声の通りに、行動し、
お尻の壊死はとまりました。
ものすごい荒れていて、とても目をむけられる状態ではないのですが
(今はもっとひどいですが)なんと、その時だけ、わりときれいになったのです。
病院の人も「大丈夫!」と。びっくり。
内臓もよくなっている。治ってきている、すごい。そう思いました。

でも時すでに遅し、その時には、もうその声にほとんど乗っ取られているような
占領されているような感じになったのです。
だんだん指示されるようになりました。

これが駄目、あれが駄目。こうしろ、ああしろ。
私は「ハイハイ」と忠実に答えました。もうロボットのようになっていました。

そして、不思議なのが、私がほとんど部屋からでないことに家族は
疑問を思っていませんでした。そんなことを思うと、すぐ声はこたえてきて、

『家族もお前がどうなろうと、気付いていない、お前は、誰にも必要とされず、
家族の迷惑だ、どうしたら本当に家族に力になれるか教える』と言いました。

私は素直に「そうだなあ」と思いました。
だって、普段の生活でも、結構そう言われているもの、と納得したのです。

『家族を助けるには、今すぐ、お前のこの悪い念を出さないといけない。
お前は、家族を汚している、世界を汚している、
お前自身がなおしていかなければならないことがある』と言われます。

ただ、こんな流れの中でも、
「ん?この声をずっと聞いていたら、まずい、違う、私が私でなくなってしまう、
そんなことあるかいな、これは違う」
と思ったことは何度もあるのです。

でもその思ったたびに、
『違う、今はこの言葉を聞く時期だ。こうやって心の成長を高める時期がある、
現に、さまざまなものと対話して、こういう本があるだろう、
そういう人もみなこのような時期を通っている、今はその時期だ』
といわれ、本当に声が言う出版されている本が調べたらあったので、
また信じ込んでしまいました^-^;;

また、入院、退院、その後までの続きをいつか書かせてもらいます。

辛かったけれど、書けてよかったです。
ずっと書けないかと思っていました^^少しずつ、客観的になってきたのですね。
読んで下さりありがとう。

2015年9月 2日 (水)

生命の夏 ひと夏の体験

今年の夏はとっても暑かったですね。

今年の夏の一番の素敵な体験は・・・

一度玄関先でマムシを見ました。

・・・

(41歳、独身女の一番のひと夏の思い出がこれって・・・オイッ)

ということで、なんか、残念な感じ??

でも、マムシの強さと、生命の力に思わず感動して見入ってしまいました^▽^

あー、なんて生命ってすごいんだろう。おまけにヘビはかっこよかった!

しげしげ眺めていたら、マムシはしゅるるるる、っと逃げて行きました。
うーん、父のためにマムシ酒を作ってあげてもよかったのかも?
昔、作った記憶があります。
でも私は退治はできないですね。
秋にマムシにかまれると危険なので、畑の出入りは気をつけないとです。

ってヘビ嫌いな方ごめんなさい><
この先Gの話が出てくるので、嫌いな方はここで引き返してくださいね。

ただ、本当にヘビを見て、つくづく、あの動き、あの存在。
すごいなあ、どうしてこんなものが世の中にいるんだろう。
人間と全然違う、でも同じ命。

本当に生物って不思議ですね、本当に命って不思議。
とっても元気をもらいました。

私は、ヘビはもちろん、昆虫とか虫とか、いろいろ本当に嫌いでした。
いや、今でもあまり得意な方ではありません。なかなか触れません。

昔、アパートで一人で住んでいた若いころ、足が鉛筆のように太い大きな蜘蛛がでて、怖くて怖くて、叫んでしまい、近所の方が、事件だと思い、警察を呼ぶ寸前だったこともあります^^;;

でも、体の病気をしてから、昆虫など、怖くてもじっくり見て、
その恐怖が消えた時、その存在のすばらしい力を感じるようになりました。
とにかく、感動します。

病気が教えてくれたことかもしれません。

37歳ころ、私はもう覚悟して入院していたことがありました。
怖くてたまらなくて、自分から生命がこのまま消えてしまったら、
私はあの世でも一人ぼっちになってしまう、
そんな気持ちに満たされて、壊れそうでした。これは今でも時々あります。

それまでは、誰でも旅立っても、あたたかい懐に必ずいけるし、
すべてが見守られている、と感じていたのですが、
自分が精神も肉体もギリギリになった時、そんな感覚はぶっ飛んでしまったのです。

毎日痛みと戦いながら、眠れないまま朝を迎えました。
そして、ある朝、ベッドの近くに、ゴキブリが。それも超デカっ!

すでに理性がなくなっていたのですね(笑)
そのゴキブリをゆっくりみて、ああ、ゴキブリも生きているんだ、と感動したのです。
それが嬉しくってね^^

その時、なんだか、生きる勇気をもらったのです。

今までは怖くてたまらないゴキブリくんが!生命の塊にみえたのです。
(確かにあの太い生命力はすごいですが)

たぶん、もう、頭が、ゴキブリは、汚い、迷惑、最悪というものを考える余裕もなく、好き、嫌いでは動かなくて、ただただ、その存在を感じただけなのです。

ああ、生きているってすごいなぁ。そう思ったのですね。

それから、生き物を見る目が変わりました。
鳥、昆虫、犬、猫、いろんな生き物が生きていることが、すごいんだなあ、って
気持ちがとっても楽になったのです。

人間なんてちっぽけだなあっと。
でもすべてが共通しているのは、みんな生きたり、死んだり、
それを繰り返して、何かの法則のように、何かの流れのように、
ただただ、懸命に今を生きている。
それがなんだか愛おしくて、嬉しかったのです。

私ももう少し頑張って生きたいよ、そう思えたのです。

私はその後、少し持ち直し、離島の方と友達になり、物件をかしてもらい、
自然深い島に少しだけ住んだのですが、その島は虫がすごかったのです。

とにかく見たことない虫だらけ^^;;
どんな良い家にしても、ガードしても虫は入ってくるのです。

部屋の中に、ヤモリはペタペタ、タオルを置いておくと、タオルをかじる見たこともない虫たちが群衆になってくるし(私は「タオルかじり虫」と命名していた)
蟻は常に部屋に大群でいる・・・・。蜘蛛はあちらこちらにいる。季節により、前がみえないほど、シロアリの大群が飛ぶ!ムカデもよく出る・・・・・。

う、うぎゃーーーー!こわい、気持ち悪すぎる。

耐えきれないと思いましたが、少しすると、あれ・・・この島は、虫や動物が
主人公の島なんだ、私はお邪魔させてもらっているんだ、とふと、納得。

島の人も、ムカデをみても、愛おしそうに眺めていました。
攻撃しなければ大丈夫よーー、って。

そんな生活の中で、なるべく殺さずに、なるべく共存できるように、していこう、と思いました。

そうしたら、不思議、
「おお、ヤモリ、かわえーなー、夜中落ちてこないでね」
「お、今日もタオルかじり虫、がんばるね」
「間違えて私の頭を通らないでよ、蜘蛛さん」
「ありんこ、これ以上増えると駆除しないとだから、ほどほどにしておくれ」
みたいな、ノリになってきたのです。

その経験が私をとても育ててくれました。

本州に戻ってくると、やっぱり、家に虫が入ってくると、うぎゃーー!
ってなってしまうのですが、(なんででしょうね?本州集合意識なのかな?)
でも、その経験のおかげで、うぎゃー、となった自分が冷静になるまで待ち、
ゆったりその虫を観察してしまう癖がついてしまいました。

このまえもGくんがでてきたとき、「おお」と眺めていたら、
母が、「あんた何やってんの!」と新聞紙を持って、退治していました。母強し。

眺めていたら、ちょっと動きを観察してあー、生きているんだなあ、と見てしまった、と話したら、
「あんた馬鹿!」
ええ、馬鹿も馬鹿ですし、全般的に病気続きで頭のねじがゆるいのだと思います^^;;

でも、私は子供のころ、虫も何もかもぜんぶ友達だったなー、なんて思います。

大人が虫がきらいで、「ああ、虫ってなんとなく怖いものなのかあ」と思ってしまったのかもです。

仕事中も、外の掃除をしていて、カマキリのあかちゃんがいたりすると、ホッとして、癒しをもらってしまったmidoでした。

蝉もがんばりましたね。
今年も声を聞かせてくれてありがとう。

病中に、朝も夜もなく痛みで戦っていた20代の時、詠みました。

「ミンミンと 夏の鳴き声 にぎやかで 孤独なわれも 混ぜてくれぬか」

私はいろいろなものに助けられて生きてきたのです。

今年の夏を生きた生命達に感謝。
今年の夏は、いろいろあって、落ち込みながらも、それでもよい体験もしましたmidoです。

ひと夏の体験は、ス・テ・キでしたheart01

長々くだらない話でした^○^

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