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2015年8月

2015年8月29日 (土)

何も持ってなくても、堂々と歩いていけたら

夏の大きな仕事は終わりました。
いろいろあり・・・高熱が続き、嘔吐が続き、いつも出血があるのですが、その量がとっても多くなって、
ああ、頑張りすぎだなあ、と思いながらも、家事と仕事を休まず両立させていたのですが、
もう途中から家事ができなくなり、いろいろと揉め事が沢山おきました。

どうも、私が具合悪くなると、揉め事がおきます。

事の起こりは、父が、遊びすぎで、体調悪くなりそうだな、と感じていたので、気を付けてね、と伝えていたのですが、私の意見など全く聞かず、伝えるものなら、「俺を邪魔しやがって」と返してくるので、もうそのままにしていたら、父が高熱で廊下で嘔吐。

姉は「父なんか死んでもいい」くらいなので、父を置いて出かけてしまい、
誰もいなくなり、結局、在宅で仕事をするしかない私が、ケアしましたが、
この一分でも惜しいときに、自分のお風呂の時間もとれないときに、
機嫌の悪い父のケアはとっても大変でした。

具合悪い父は機嫌が悪く・・・・私に対して未来がない、など、いろいろ言ってきて、かなりへこみました。こ、こんなに頑張っているのに、(たしかにお金入れるのは少ないけれど)
ここで言うか!みたいな。

その父の状態が私に移って、父は元気にまたあそびまわる中、私は高熱。
40度近い熱の中で、またもやパートにいくはめに。(何回も高熱で仕事いっています><)

父に、自分の体調くらい守ってほしい、休み休み遊んで欲しい、
とドキドキしながら伝えたら、
「おまえのせいで犠牲になっている」と飛ばされそうな勢いで怒鳴ってきて、
私も部屋で大泣き。

それでも、父はそのとき、38度の熱があったので、勢いが弱くて助かりました。
私は熱が出ると、元気な人とは違い、機能が戻らなくなる可能性があるのです。
それを父はわかっていないのですね。

父は、私が痛みで気絶してようが、入院してようが、目の前で倒れてしまっても、遊びに行ってしまいます。
機嫌の悪いときは、昔から、全力であたってきますし、言葉も、死ね、ぶっ殺す、役たたず、死んでしまえ、殺してやる・・・以下省略・・・・まったく口が悪いです。
おはようの挨拶よりそういう言葉が多い中、ずっと一緒にいましたが、最近は本当に言わなくなりました。

本人も努力しているのだと思います。それでも具合悪いときのネガティブ言葉はこたえます。

私は10年前、姉の病気の世話に、実家に帰ってきて、ついでに病気がちだった父と、かなり脳とか心臓とかやばい生活習慣病だった母に、食事とかマッサージなどで100パーセント愛情もって接してきて、二人ともとても元気になり、20才くらい若くみられます。(たぶん食事効果だと思います)
私より若いです、もうアラ80ですが!
でも、気持ちは満たしてあげられないのですね。

沢山のお金や孫はプレゼントできなかったのですが、それでも少しは何か違う形で力になれていると思っているのです。
かなり健康、かなり人よりは、若いとほめられて、本人も嬉しそう。
やりたいことはやれている。

あのままだったら、二人とも動けなかったです。
でも・・・
親から出てくる言葉は、犠牲、だから、やっぱり犠牲になってるのでしょう。
申し訳ないですね。

今回私が忙しくなっている途中、母親が家事の負担が増えて、なんども辛いといってきました。
我が家は添加物などだめな人がいるので、外からの食事を買うこととか
無理なのですね、なので、全て一からつくるので、負担が多くなるのかもしれません。

姉妹の5食分のお弁当やら、私もつくる暇を持てず、具合も悪く、
姉にも自分でやるように伝えましたが、なかなか無理でした。

もうちょっと待ってね、仕事終わったら、旅行にも行ってもらうからね、ありがとう、と伝え続けたのですが、ちょっと負担になってしまったようです。

私の仕事にもとても協力してくれた母です、ちょっと負担を与えすぎてしまいました。

仕事先とのトラブルも多く、辛かったけれど、それ以上に周りがぴりぴりが辛かったです。

2ヶ月、一日も休みがなかったので、昨日パートから帰ってきて寝ていました。
まだ出血もひどく、食べるものも食べれません。
ひどく症状が進んで、もう戻らないことも増えました。

泣いていたら、家事で疲れた母がきれて、そのまま、私は家を出て、
荷物をもって、しばらく公園で過ごしました。
もう子供の頃から何回家をこうやって出ているのかなあ・・・。

自分の選択してきたことは間違っていたのかなあ。
振り返って、私の進んだ道は間違いだったのかもしれない、と
さすがに、悲しくなり、ちょっとおかしくなりそうでした。

私は、姉と20才からずっと暮らし、姉の面倒を見ていました。
姉が留学し、その間私が就職。
その頃、また姉が帰ってきて、姉が病気になります。

体の病気、そして、心を病んでいきます。
私は姉と一緒にすみながら、働いていました。
夜勤や朝早くから仕事のある私は、6畳の狭いアパートで、
姉が一晩中起きていたり、テンションが高かったり
することがとても負担でしたが、私には、ノーという選択肢はもともとありませんでした。

そのうち、私も病気に。仕事は退職。
私の方が重かったのですが、姉だけでも治そうと、ずっとケアしてきました。
家には帰れず、二人で生きてきました。

何年かたち、一人なら家に帰れることになり、姉だけ実家へ。
私は、優しい方と一緒に住んで、そこで治すことになりました。

でも、姉が家で大変になり、私はやっぱり、姉を助けにいってしまいます。

一緒に住んで、これからも一緒になろう、という優しい方よりも、
家族が心配で家に帰ってしまったのです。

最初は靴の置き場もなく、具合が悪く時間がずれたら、ご飯も食べれず、
本当に働かざるもの食うべからず。外を歩くことも恥ずかしいと言われますし、扶養にも
入れませんでしたが、とにかく姉を治し、その間に、親には意識が違う方面に向かうように、満足してもらうように、
いろいろ楽しませるように、いろんなアイデアを出したり、やってきました。

途中、姉妹で家をでないといけないときもありました。
姉は辛さのあまり、おかしくなり、何度も毎日首をつろうとするのを
毎日毎日止めました。

姉は、奇跡的に治り、高い資格もとり、働けるようになりました、まだ体は弱いし、収入も全然ありません、
でも、今日も学会で発表に出かけています。
あとは収入が増えて、貯金が少しでもできて、いい方が見つかれば、私のやることはもうないかな、
なんて思っていました。

でも、気づいたら、私は自分がまた具合悪くなってしまったのです。
もう、戻れないところまで、自分の病気が来てしまったのですね。
それで、家族に迷惑をかけてしまっているのです。

私自身が幸せになり、体を直して自立して、働けばよかったのです。
私は家族に頼まれることに、ノーという選択肢がもともと持つことすら、考えたこともありませんでした。

家族が幸せになること。
そういう思いが強くて、一生懸命になりすぎたのですね。

でも、私がいなかったら、姉は首をつって死んでいたのかもしれません。
わかりません、何がよかったのか。

私は家族をつっぱねることができなかった。でも、結局家族に迷惑かけている。それだけです。

今は、体の病気が進んでいくことが怖いのです。
毎日毎日受け入れます。統合失調症になって受け入れられたと思っていた体の病気も、
症状が進んでいくと、苦しいですね。

昨日、真っ暗な公園で、家を眺めて、みんな、辛いことあるんだよね、でも生きているんだよね、と何度も思い返しました。
そのまま、しばらく公園にいて、夜は、姉の昼間仕事で使っているところに泊まりました。
そのまま朝仕事に行きました。

明日、手が動かなくなるような病気の人もいる、目が見えなくなる人もいる。
そんな人も日々受け入れて歩いている。

正正堂堂と歩いていけたら。
何ももっていなくても。

毎日生きていること、それだけに感謝していく強さが欲しい。
そこからスタートしたい。

もう一回立ち上がりたい。

そんな強さがほしい、今年の夏の終わりです。

長い文章、読んでくださった方がいらっしゃったらありがとう。

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