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2015年4月 8日 (水)

生きていてくれればいいから

統合失調症になって、なお、無理はきかなくなってきました。
というより、昔の自分を偽りながら生活しているのが大変負担に感じることがあるのです。

昔の私・・・期待されると、自分の限界をこえてまで振り絞ってこたえる。
認められるとうれしい。

そんな感じでした。まあ、自我です(笑)

今活動をしているボランティアの仕事ですが、仕事を頼まれすぎて、
自分の休む時間が足りなくなって、2か月ほどお休みしました。

今まで私がやっていた仕事、役割は、もう違う人に任されていました。
それを知って、少し悲しくなりました。

ここでもう仕事がないのじゃないか、いる意味がないのではないか、という気持ち。

私のやっていた仕事をやってくださった方に感謝の気持ちなんてどこへやら。

働いていたときも、40度の熱があっても、出勤。
付き合っている人に対しても、その人の期待に添えるように、全力を注ぐ。

でも裏をかえせば、期待にこたえて、大事な存在だと認めてもらいたい、
その一心だったと思います。

小さい頃、否定されて育ちました。
存在自体の否定、言葉でも否定のオンパレード。

そういう経験から、とても存在の価値づけをはかる傾向があります。
こんなどうしようもない自分を生きている意味づけをしないと、怖くていられないのです。
でも、それってとっても疲れていたのだと気づきました。

結局、人のお役に立てるとか、認められる、っていうのは、後からの結果。
神様にお任せ。

私はできるときにできることをやっていればいいだけ。心をこめて。
それでOK。

別にいいじゃない、役に立とうが立たなくても。
人が認めてくれようがくれなかろうが。好かれようが嫌われようが。
いちいちそんな存在価値をはからなくてもいいんじゃない。
なんだかどうでもいいことにこだわっていた。
最近そうなってきました。

できないときはできません〜。やれないことはやれません〜。
そうなるとなんて気が楽~。

そして、思うのです。「生きていればOK」「それですべてOK」と。

 

私の入っていた生命保険の担当の方の娘さんが統合失調症だったということをこの前、
入院した時の保険請求の手続きの時、知りました。

保険が出るといっても、最低ラインの保険なので、そんなには出ないのですが、
それでも請求できればとても助かります。
でも、担当の保険屋さんは、近所の方なので、
私の病気を知られたらちょっと気まずいかも?とのことで、
入院した時の保険請求を迷っていました。

でも、心を決めて、この前請求したんです。
病気の名前を知らせたとき、相手はびっくりして、
「私の娘もそうだった」とおっしゃいました。

そうだった、と過去形なのは、その方の娘さんが、
心臓か何かの突然死で亡くなっていたとお聞きしていたからです。

でも実は、突然死ではなくて、自死だったそうです。

その方が私におっしゃいました。

「生きていてくれればいいから」「それでいいから、命を大事にしてください」と。

本当に心からの言葉でした。

私も、今、自分を楽にしはじめてきて、いろいろなフィルターがとれてきて、
どんな存在にも心からそう思えます。

生きていてくれてありがとうと。生きていてくれればいいから、と。

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コメント

 midoさん、こんばんは。おひさしぶりです。よっしーです。なんだか、きょうのお話をきかせていただいてると、midoさんのこころの中には小さなmidoさんがいて、いつも泣いていたように感じました。でも、最近になり、その小さなmidoさんが、もうわたしがいなくても、あなたは大丈夫だよね、と笑顔で旅立っていった、そんな感じがしました。
 自分の存在を子供の頃否定されつづけた恐怖は、その当事者さんでないと理解できない、心の乾きかもしれませんね。だからmidoさんは、自分の限界を超えても、周囲の方の期待にこたえようとされたのではないでしょうか。
 人間の欲求で強いものは、人から存在を認めてもらいたい、自己の重要感を満たしたいという欲求だそうです。
 そのこだわりから、midoさんは解放されてきつつあるのではないでしょうか。そうなんですよねー、頑張らなくてもいいのですよねー。努力しなくてもいいのですよねー。生きていればそれでいい。おおきな気づきですよね。

>よっしーさん

いつも優しい言葉と、そして素敵なブログをありがとうございます。
よっしーさんの感じられたことが、なんだか、とってもぴったりで、うるうるしてしまいました。
よっしーさんの感受性、感性ってすばらしいですね。
その感性に私、いつも感動脱帽します。

私の「認められたい」は、小さい頃育ちすぎたのですね。
それがないと、生きていけないような、いや、生きていていけないと思い込んでしまっていたのです。
そういうものは、もういらないよ、もう大丈夫、って、小さい頃の私にさよならしたんだと思います。

認められたいって、本当に一番強い欲求ですね。
旦那さんに、奥さんに、親に、恋人に、社会に、認められたい、大事にされたい、
そう思うことは、多くの人が当たり前に持ち合わせているのかもしれません。

私は特にそれが強かったんだと思います。

なんだかそのこだわりがなくなってきつつあると、楽しくなってくるのです。
生きること、特別何かがなくても、楽しくて、楽だなあ、って。
頑張らなくていいんですね。
よっしーさんのおっしゃっていることがとても身に染みて伝わってきました。
よっしーさんと出会えたことに感謝です。


今日もいい日^^

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