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2015年4月28日 (火)

病気後の方がキャパシティが大きくなった

昔体の病気で入院していた頃に、心配してくれて、
お世話になった方から連絡がありました。

統合失調症も知っていますが、知り合いにもいらっしゃるみたいで、
「midoちゃんは今まで無理して、我慢して、感情を抑えてきたの、
それが出てきただけだからいいのよ」

と天使的言葉をかけてくれる方です。

その方とお会いしていた時は、4年以上前。
私は体のことが嫌で、嫌で受け入れられなくて、泣いてばかりいました。
今はその時より、体は、状態が悪いところも一見あります。
でも、そのころよりは、泣いてばかりいません。

「声がしっかりしていて、すごいね!今までで一番落ち着いている」

とのこと。

私は統合失調症になる前のほうが、心の深さというか、キャパシティが狭かったのです。
人に対しては寛大でしたが、自分に対して、とても恐れを抱いていました。

確かに、統合失調症になる前よりできないこともたくさんあります。
覚えが悪かったり、落ち着かなかったり。緊張したり。疲れたり。日々不安定さもあります。

でもそれらを受け入れる度量が大きくなりました。
体の方も受け入れられます。

今までのキャパシティだったら、今の体の体調や体の変化を受け入れられなかったと思います。

同じ統合失調症の方で、病気になってから、職業を考え、ヒーリングミュージシャンに
なった方がいます。
病気になったことがきっかけだったそうですが、二度再発して、かなり薬漬けになったそう。
(今は薬は飲んでいらっしゃらないですが、20年大丈夫だそうです。)
本当にやりたいことをやりたい、今までの苦しみを人のために何か役立てよう、
と決めて、今は世界を駆け巡っていて、
有名な方々とコラボしたりして、人々を癒しています。
それがもうとっても気持ちがいい演奏なのです。

その方も、もちろん精神不安定になるときも、多々あるそうですが、
それらを受け入れて生きていこうと決めて、進んでいる方です。

そんな彼女を見ていると、動けなかったり、立ち止まったりすることは、
何も問題なくて、その経験もすべて人生の羅針盤になるのかな、なんて思います。

私はそんなだいそれたことはできないし、私のキャパシティは、
本当に小さなものだけれど、少しでも、広く深くなって日々を進めることはうれしいです。

Photo

昔カレンダーを作っていました。

このことばはネットで知り合った方の詩で、この詩にあわせて
イラストを描いて、イラスト内に暦をいれて、ミニカレンダーにしたのです。

ひとつの病院に飾ってもらいました。

ある日、体のことでの入院で落ち込んでいるとき、
その病院の仲の良いお医者さんが、
「midoちゃん、今月のカレンダーを見て!見ている方向へ進んでいるよ、って
書いてあるよ、大丈夫だって思っていたほうがいいよ」
と言ってくれました。

でも、その時はつらくて、大丈夫なんて言われても、とてもそう思えなかったです。
見ている方向が暗いものだとわかっていても、それを変える力はありませんでした。

最近は、落ち込んでいても、誰でもきっとその先にはみんな光がある、
だから、無理しないで進んでいけば大丈夫、そう感じるようになりました。

人も自分も心の底から、いい方向へ向かうことを
信じることができるようになりました。

見ている方向は、なるべく明るいほうがいいのだけれど、
明るいのがまぶしくて、つらくて、たまらないときもあります。

そういうときも、実は暗い中にいるようで、その中に光があり、
自然に光に進むようになっている。

大丈夫。大丈夫。ほんとうに大丈夫なのだheart01

今日もありがとう。

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病気のこと」カテゴリの記事

コメント

 midoさん、こんばんは。きょうのブログもとても素敵ですね。拝読させていただいて、森の泉のわきみずをのんだような清冽なきもちになりました。midoさんの歩まれてこられた道はけっしてお楽なものではないでしょう。
 でも、その問題を出会った人の優しさや言葉、思いやりにささえられ、midoさん自体が純化してこられたのでしょうね。こころの病になることで、考えたこと、成長したこと、お思いになられたことなどでご自身の許容量が増えたのでしょうね。
 現実はときに厳しく残酷にも思えます。しかし、こんなに愛にあふれやさしさに満ちていたのかとおどろかされることもあります。人は誰もが幸せを感じる感性も不幸を感じる感性ももたれていらっしゃるのでしょう。midoさんは、幸せを感じる感性を磨いてこられたのでしょうね。
 現象じたいは中立です。幸福も不幸もありません。どちらの感性で感じるかですよね。いまでも、お体のことで苦しいことも実際おありでしょう。ただ、midoさんのこの苦しみは神の試練でもないでしょうし、因果でもないとよっしーは思います。midoさんのこの体の苦痛、なぜ、どうしてと意味を求めないことだと思います。苦しみのさきにあるもの、そこから先は神の領域です。
 なぜ、わたしが、意味を問いたくなるかもしれませんが、その先は神の領域とおまかせしてみる、という捉え方もあるのではないでしょうか。
 すべての現象はその方に必要であり、また乗り越えられる問題です。意味を問わずただ、愛すればいいのではないでしょうか。

midoさん、こんにちは。

統合失調症になってからの方が、体のご病気も受け入れれるようになってキャパシティも広くなったなんて肯定的にご病気をとらえられていて素敵ですね。
ヒーリングミュージシャンの方のお話も良いお話ですね。
病気の少しづつの回復の先には光があるのかもしれませんね。そう考えるとこの病気は、光に気づきなさいという神様からの贈り物なのかもしれませんね。

>よっしーさんへ

よっしーさん、だいぶ暑くなりましたね。
お仕事もこれから暑さの中でになりますね、体調大事にされてくださいね。

私は、体はもう変わってしまっているので、あがいても仕方ないのですが、
一日の終わりに、まだ、ちょっと不安がよぎりますね(笑)
それでも、すぐ落ち着きます。
そんな時、よっしーさんのコメントを思い出して勇気を頂きました。

もうね、「愛すればいいのではないでしょうか」このよっしーさんの一言に尽きます(涙)
本当に、もし、答えがあるとすれば、このいろいろ起きてくる、時に理不尽であり、時にすばらしいことであり、
日々の営みすべては、いつも愛すればいい、本当にそうですね。

現象に本当いいもわるいもありませんよね。

人間的にみて、悪いと思われることも、森羅万象の中で、宇宙の中で、
大いなる流れの中では、意味を持たないですね。

神の領域には、私はどうあがいたって、入ることができない。
それだけ神聖で、美しい気がします。
そんな場所にお任せして、私は日々を淡々と、そして、幸せを見ながら歩んでいきたいです。

小さく小さく、苦しく悩んでいることも可能だけれども、
大きい流れの中で、ゆったり、ぷかぷかにこにこと流れていくことも可能なんだなあ、
とよっしーさんのコメントを何度も見返して思います。

答えや意味を求めてしまうのは癖みたいなもの、というか、どうにかして
落ち着き、よりどころを探したいのでしょうが、
そういうものを手放して、ただただ、この私に起きてくる流れを、
慈愛で包みたい気持ちです☆
そして、どんどんと私自身を純化していきたいな、と思います^^

いつも、素敵なコメントありがとうございます。
いっぱいの感謝をこめて☆

>みみさんへ

わあ、みみさんですね☆
コメント下さって本当にありがとうございます。

光に気付きなさい、という神様の贈り物。

なんて素敵な、きれいな言葉なんでしょう。
みみさんの言葉は、とても聡明であり、
言葉に光を灯していらっしゃって、いつも気持ちがいいです。

神様の贈り物は、いつも、どんな中にもきっとあるのでしょうね。
それを受け取るも受け取らないも、どちらも自由で、
私たち自身に任せてくださっているのかもしれません。

私自身も統合失調症になった時は、精神の病気もプラスされて、
もう終わりだ、なんて思って狂うほど毎日泣いてた時もあります。
それが、自然に、ただ自然に、今はそういう風に思わなくなったのです。

体の病気は、本当に、往生際が悪いというか、いつまでも、
受け入れられなかったので、それが、もういいや!と手放しはじめたことで、世界が変わってきました。
統合失調症で、あがきようもないようなどん底になったからだと思います。
どん底でも光は差し込むものなのですね。

ヒーリングミュージシャンの方も、とてもどん底を味わったそうです。
今は、病む人、元気のない人を解放するお手伝いを音楽でされているのですが、本当に気持ちよくて、眠っちゃいます^^
素敵な人生ですよね。

そうそう、みみさんのテディベアはとてもかわいかったですね^-^
思わず、ぎゅっ!!ってしたくなりました☆

私、みなさんが表現されていることにとても癒しと元気をいただきます。
また、見せてくださいね♪
お越しいただきありがとうございます。

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