« 2015年3月 | トップページ | 2015年5月 »

2015年4月

2015年4月28日 (火)

病気後の方がキャパシティが大きくなった

昔体の病気で入院していた頃に、心配してくれて、
お世話になった方から連絡がありました。

統合失調症も知っていますが、知り合いにもいらっしゃるみたいで、
「midoちゃんは今まで無理して、我慢して、感情を抑えてきたの、
それが出てきただけだからいいのよ」

と天使的言葉をかけてくれる方です。

その方とお会いしていた時は、4年以上前。
私は体のことが嫌で、嫌で受け入れられなくて、泣いてばかりいました。
今はその時より、体は、状態が悪いところも一見あります。
でも、そのころよりは、泣いてばかりいません。

「声がしっかりしていて、すごいね!今までで一番落ち着いている」

とのこと。

私は統合失調症になる前のほうが、心の深さというか、キャパシティが狭かったのです。
人に対しては寛大でしたが、自分に対して、とても恐れを抱いていました。

確かに、統合失調症になる前よりできないこともたくさんあります。
覚えが悪かったり、落ち着かなかったり。緊張したり。疲れたり。日々不安定さもあります。

でもそれらを受け入れる度量が大きくなりました。
体の方も受け入れられます。

今までのキャパシティだったら、今の体の体調や体の変化を受け入れられなかったと思います。

同じ統合失調症の方で、病気になってから、職業を考え、ヒーリングミュージシャンに
なった方がいます。
病気になったことがきっかけだったそうですが、二度再発して、かなり薬漬けになったそう。
(今は薬は飲んでいらっしゃらないですが、20年大丈夫だそうです。)
本当にやりたいことをやりたい、今までの苦しみを人のために何か役立てよう、
と決めて、今は世界を駆け巡っていて、
有名な方々とコラボしたりして、人々を癒しています。
それがもうとっても気持ちがいい演奏なのです。

その方も、もちろん精神不安定になるときも、多々あるそうですが、
それらを受け入れて生きていこうと決めて、進んでいる方です。

そんな彼女を見ていると、動けなかったり、立ち止まったりすることは、
何も問題なくて、その経験もすべて人生の羅針盤になるのかな、なんて思います。

私はそんなだいそれたことはできないし、私のキャパシティは、
本当に小さなものだけれど、少しでも、広く深くなって日々を進めることはうれしいです。

Photo

昔カレンダーを作っていました。

このことばはネットで知り合った方の詩で、この詩にあわせて
イラストを描いて、イラスト内に暦をいれて、ミニカレンダーにしたのです。

ひとつの病院に飾ってもらいました。

ある日、体のことでの入院で落ち込んでいるとき、
その病院の仲の良いお医者さんが、
「midoちゃん、今月のカレンダーを見て!見ている方向へ進んでいるよ、って
書いてあるよ、大丈夫だって思っていたほうがいいよ」
と言ってくれました。

でも、その時はつらくて、大丈夫なんて言われても、とてもそう思えなかったです。
見ている方向が暗いものだとわかっていても、それを変える力はありませんでした。

最近は、落ち込んでいても、誰でもきっとその先にはみんな光がある、
だから、無理しないで進んでいけば大丈夫、そう感じるようになりました。

人も自分も心の底から、いい方向へ向かうことを
信じることができるようになりました。

見ている方向は、なるべく明るいほうがいいのだけれど、
明るいのがまぶしくて、つらくて、たまらないときもあります。

そういうときも、実は暗い中にいるようで、その中に光があり、
自然に光に進むようになっている。

大丈夫。大丈夫。ほんとうに大丈夫なのだheart01

今日もありがとう。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

2015年4月16日 (木)

通院・偏見のない先生

先日は通院でした。

私の主治医は、楽観的な人ですが、本当に、本心から、偏見がないのが伝わってきます。

精神科医だから、偏見はないのでは、以前は思っていたのですが、
学生時代の精神病院でのバイトや、実習などで、
必ずしもお医者さんが偏見がないとはいえないことがわかりました。

一般の人も、偏見がある人とない人がいるように、
お医者さんの中にも、その方の生活してきた環境や接してきた情報などで、
偏見を植え付けられることがあれば、自然に色眼鏡でみてしまうのだな、と思います。

私自身も今まで、いろんなことを色眼鏡で見ていたことが知らず知らずに
あるので、そういう方に接した時は、反面教師で、
自分の色眼鏡をどんどんはずすことをしていきたいな、と思います。

最初入院した時は、主治医とは違う先生が、私に
「ここに来たということは普通じゃないのだよ、あなたわかってる?」
と耳元で言ってきて、
「えーーー、精神科の先生がこんなこと言うのかい?」
とびっくりしたことがあります。

でも私の主治医は、

「統合失調症って仕事場にも言っても別にいいんじゃない、
言わなくてもいいけれど、言っても問題ないじゃないですか、何が悪いの?
だって統合失調症は、普通の病気と全く同じで、脳が情報混乱してしまったり、
コントロールできないだけですよ?
何がいけないのかしら?何か言って問題あるかしら」

とあまりに偏見がないので、社会も偏見がなくて当たり前と思ってるくらいです。
社会もわかってくれて当たり前、わからない社会がおかしいみたいな感じです。

いや、仕事場に言ったらちょっとまずいですから(汗)
体のこともいえないのですから・・・。
でも、こういう先生はとってもありがたいです。

そういえば、私が急性期、この先生の部屋に通された時、
現実がわからないくらい朦朧としていましたが、
なんとなくこの症状は、統合失調症といわれると、なぜか感じていました。

幻聴がひどくてひどくて、とにかくここで死ななければ、早く、と信じ込み、
体が勝手に自分の意思とは別に動こうとして、
そんな支配され感がマックスになっている中、
悲しくなって、恐ろしくなって、私が帰ろうと席を立ちあがっても、
しっかり目を見て、
「つらそうですよ、つらそうな状態だから少し楽になりませんか?」
と優しく声をかけていただきました。
その目に、憐れみとか、差別的なものは一切ありませんでした。

私の肉体の病気も結構偏見があります。
お医者さんでも、差別的なことを言われたことは何度も何度もあります。
若い時、一度沢山友人が離れていったことがあります。
でも、最近は、認知されてきて、病気が少しずつ社会に理解されてきているようです。

児童施設にいたことも、かつてはすごい差別がありました。
非行じゃないか、怖いとか、危ないことをするとかかわいそう、とか・・・。
今は、理解も昔とは比べ物にならないくらい進んでいます。

登校拒否も私のころは、学校休むだけで近所中大騒ぎでした。

統合失調症も、メディアの報道で、恐れを抱くイメージの病気になってしまうけれど、
そういう状態になる時期やそういう人もいるけれど、いない人もいる、
そして、それは、病気の症状の一部だということ。

自然に伝わってくる社会が、ゆっくりかもですが、来るといいな、きっともう来るだろう、
と夢みてます。

そして、一方で、どんな社会であろうと、社会はどうあっても、
マイペースでのんびり私の世界を歩いていきたいなと思います。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

2015年4月15日 (水)

春よ恋

はるゆたか・あやひかり・春よ恋・などなど

それは何かといいますと、日本の小麦粉の商品名ですconfident

日本が小麦の自給率がとても低く、使われている小麦粉は外国産がほとんどなのですが
それでも国産の豊かな風味のある商品があります♪

最近、初めて、春よ恋、という小麦粉を使いました。
この前ちょうど滅多にみないテレビを見ていたら、TOKIOの鉄腕ダッシュで、この粉で
世界一うまいラーメンを作るという企画で、TOKIOが栽培した小麦粉がこれでした。

ちょうど、多種多様な物があるスーパーに、春よ恋、あやひかりがあったので購入。
いつもは、自然食のパン屋さんに、北海道産の小麦粉をわけてもらうのですが、
今回は冒険して違う種類を試してみました。

春よ恋・・・風味豊かでとってももっちり、もっちり。パンに使いましたがよいですぅ。
今度はうどんをつくりたいな、と思います。

あやひかり・・・これもまた、弾力性にすぐれていて、もちもちです。

おいしい小麦粉はとても甘みがあります。
まず、水で溶いて焼いてみて食べてみて味を感じたりするのが好きです。

できれば、オーガニックで小麦の表皮、胚芽などをすべて粉にしたものである全粒粉で食べてみて、
香りなどを感じてみたいものです♪それが一番好きです。

そして、もうひとつ冒険。
我が家はお砂糖類はほとんど使わないのですが、あらたにこの春、
糖分にも新しいものを使ってみました。

低GI食品・天然甘味料・オーガニックアガペシロップと書いてあります。

2015041109590000_3


上白糖は、私が糖尿病ではないのですが、生まれつき膵臓が悪いので、使いません。
血糖値がバーンと上がる上白糖は、ちょっと負担なのですね。
元気な方は、脳が疲れた時など、一気に充足するにはもってこいですね!

低GI食品というものがあります。
ダイエットなどに使われる食品ですが、
血糖値がバーンと急に上昇しない、緩やかに上がる食品たちです。
腹もちもよかったりします。

甘味料は大体高GIで、とても血糖値を上げますが、
ビート糖(てんさい糖、大根のような野菜の甘みを使ったお砂糖)
や、羅漢果(人工を加えてない自然のものだけだと癖がある)、
メープルシロップなどは甘味の中でも低い方です。

この写真のアガペシロップは低GI、自然ですし、
砂糖より甘みが3、4倍らしいです。
ただ、このアガペも昔ほど、体にはそんなによくない、という報告例もあります。
まあ、使い過ぎないでほどほどに楽しんでみます、お高いですし^^
使ってみたら、後味がすっきりしていて、とてもおいしかったです。
新しい味!新鮮。

てんさい糖はお安い方なので、やっぱりてんさい糖メインですが
たまにアガペシロップも使うのはいいなあ、と思っています。

ステビアは一番低GIで有名ですね。あとパルスイートなども。
ただ、人工甘味料メインだと、我が家はアレルギーさんがいるので一応気をつけて
やめていますが、結局安全性は最近報告されましたよね、
ダイエットなどに活用されている方も多いでしょうね。

あと、玄米の甘酒などは、砂糖なしで、お米からの甘みでできているものは、
とてもやわらかです。
ケーキなどに入れてほんのり甘味に使います。

米飴、水飴、はちみつ、麦芽糖(とっても高GIですが)などなど
甘みもいろいろあって、何を使おうか、いつも楽しみになります。
黒糖とかのおいしさも捨てがたい。
体調よい時にたまに使うくらいですが、元気になります。ミネラルもいっぱいです♪
キャラメルソースはやっぱり黒糖を使ってしまいます♪

小麦の種類や甘みの種類を豊富にそろえて、雨の降り続く空を見ながら、
小さな冒険をゆっくりゆっくり楽しもうと、元気を出しているmidoでした^m^

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

2015年4月13日 (月)

隣人も統合失調症

私には姉がいて、姉も体が強くありません。
その姉が、アパートの一室を借りて自分のペースで塾を、
本当にぼちぼち、細々とやっています。

そこには、教室のほかに、小さな居住空間もありますが、
水や食べ物が、しっかりしていないと住めない姉は
実家で、家族と一緒に暮らしています。
(実家は、すべてのお水が浄水になっていたり、電磁波対策がしてあったりと、
姉の過敏症にはよいからです)

今、私は、その居住空間があいているそのアパートを少し姉にかりて、住みながら、
次のステップのための準備を始めようとしています。

そのアパートを経営する大家さんは、アパートの一階に住んでいて、
とってもいい大家さんです。

私のことを気に入ってくださって、塾にもよく顔を出してくださり、
私が黒板に落書きをしていたら、
「かわいいイラスト」と本気で褒めてくださりました。

その一声で、私はイラストのブログをやるようになり、
そのブログから、絵をお店で一緒に売りたいとか、
飾りたいとお話をいただくことも時々あり、
今、ひとつのお店にイラストの仕事を頼まれるようになりました。
(世の中本当何が需要があるかわかりませんね、全然上手ではないのに^^;;)

美術の授業もでたことのない私が、あの大家さんの褒め言葉がなければ、
絶対イラストのブログなどはじめようとはしていなかったのだと思います。

そんな大家さん、私の体の病気のことは、うっすらご存じでした。
それでも、大家さんの息子さんのお嫁さんにしたいと、
そして、持っている土地の一角で、一緒に福祉の事業を立ち上げたいと、
ありがたいことに、そんなお話をいつもいつも本気でお願いしてきました。

ただ、その時お付き合いしている方がいて、その方とお別れした後も、
それどころじゃなくて、お断りしていたのです。

ちょっと前、その大家さんにお会いして、「調子はどう?」と聞かれたので、
「実は精神が病んでしまって」とそれとなく、流れで、統合失調症のこともお話しました。

そうしたら、同じアパートにも統合失調症の方が住んでいるとのこと。
大家さん、つくづく優しいのだと思いました。
普通病気のことを知ったら、なかなかいれませんよね。
おまけに病気のことも詳しかったです。
大家さんは、統合失調症の方や障害をもつ方が通われるサークルみたいなところで
ボランティアをしているそうです。

その隣人の統合失調症の方は、近くの大きい企業に勤めているそうです。
「少し怒りっぽいけれど、いい人だよ」とおっしゃっていました。

姉に聞くと、ちょっと夜遅くに、掃除機をかけていた時、
うるさくてたまらない!!と怒ってきた人がいて、まさにその方が統合失調症を持った方でした。

それは、姉が悪いですね、夜遅く、それも、聴覚が過敏になっている方にはたまらないと思います。
怒ってしまうのは、とても過敏で耐えられなかったのだと思います。

大家さんは、もう今は私に、「息子の嫁にきてくれ」とはおっしゃいません(笑)
精神的な病気を持っていることは、嫁としては、
ちょっと大変だと思っているのかもしれません。

それでも、統合失調症を持っている、とわかっている方に、
快くお部屋を貸してくださること、その器の大きさはすごいなあ、と思います。

そして、いつも私の状態を気にかけてくれるその優しさも
なかなか持てるものではありません。

何より、私が少し住もうとするアパートに統合失調症の方が偶然いらっしゃったのも、
本当にびっくり。
7世帯しかないのに。

気付けば、私の周りは、同病の方がいっぱいいらっしゃいます。
さほど頻繁にやりとりをしていませんが、ほんわか繋がっている感じで、
時々連絡をしたりして、お互いの幸せを願っています。

入院した時の病院の仲間などは、連絡先の交換禁止が厳しくて、
また、私も精いっぱいでできなかったので、もう繋がりが持てないのですが、
退院して、日常の中で、カミングアウトしたら、
同病の方と出会った、という方が結構あります。

この病気、本当に身近なんですね。知られていないだけですね。
みなさんそれぞれのペースで生きられていて、この社会の中で生活されている。
私も自分なりでいいんだなあ、と思います。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ

にほんブログ村

2015年4月11日 (土)

素敵に生きていこう

昨日は、お仕事にいって、そのままボランティアに顔を出しました。
まだ、体調が戻らず、断食に近い生活なので、ちょっとふらふらしながらでした。

ボランティアの今までやっていた秘書的な仕事はやっぱりあまりない様子。
少し残念ながらも、ちょっとみなさんと話ながら、「いつでも来てね」といわれました。

4月はいろいろと変化の時。
新しい仕事、進学、家族、きらきらしている人達がいました。

なんだかあまりにも眩しすぎて、おばさん、おろおろしてしまうほどでした。

そして、ちょっとここで、昔の癖がでてきます。私の思考パターンです。
満たされていないから、ずっと持っていたもの。

「私はいる意味あるのかな、生きている意味は?」「何も持っていないな。私。」
「年だけとってしまって」
そういう奈落の悲しみに落ちそうな感じに気付いてました。

そんな気持ちがわいてきたので、ボランティア先を早々に切り上げました。

その帰り道、朝、パートの仕事で、仕事場に送り出した、16歳の男の子が、
一人で施設に帰宅する途中にばったり会いました。

障害があるので、声かけをすると混乱すると思い、
遠くから一人で歩いている姿をしばらく眺めていました。

立派に歩いて、周りをみながら、しっかり歩いている、自分のペースで。

興味あるものをきょろきょろとみながら、楽しそうに、幸せそうに、そして懸命に生きている。
その姿に、心が震え、そしてぽかぽかしました。

あー、こうやって、いてくれるだけでいいんだな、人って。
この町でこの子が生きている。

それだけで本当にうれしい。ありがとう。

花が咲いていて、それで充分なように、
空が広くて、それで充分なように、
何を求めるわけでもなく、望むでもなく、
そこにいるだけで、そこにあるだけで、充分な世界が私の周りに広がっている。

こうやって生きていこう。

素直にそう感じて、悲しみが消えました。
とってもいいタイミングで出会えて感謝です。これもギフトだなあ、と思えました。

自分の生き方の切り替えに、行ったり来たりするときもあるのだと思うけれど、
何かを失っても、何かを得ても、いい時も悪い時も、
この子のように、素敵に生きていこう。

そう思えた幸せな日でした。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

2015年4月 9日 (木)

病む時は、病むがよろしく候

先日、体の調子が悪く、痛みが強いあまりに、10回以上もどして、なかなかハードでした。
そういう時は煩悩が全部飛びます。

目の前の痛みで精いっぱいで、あ、やばい、このまま死ぬかも!と思うけれど、
精いっぱいその症状の中にいることしかできず、お手上げ、受け入れ抜いて、自然に任せるしかありません。

もう、本当に、

病むときは、病むがよろしく候、死ぬ時は、死ぬがよろしく候 (良寛)

この言葉どおりです。

家族も慌てふためいて、救急車を呼ぼうか、どうか、迷っていましたが、
私が「ありがとう!大丈夫!」とうめきながらいっていたので、
家族も「ありがとう、わかった」と答えてきました。

不思議で心からのありがとう、というと、ものすごい広がる痛みが小さくなるときがあります。
まあ、ありがとうを毎日何万回言って癌を直した人も身近にいますので、素敵な言葉なんだと思います。

不思議と一日で痛みは去り、今はゆっくりいつものペースに戻りつつあります。
明日のお仕事もいけると思います。
でも、外でやるお仕事は、この仕事以上には今はとても増やせません。
前はそれが残念に思えていたのですが、最近はこれでよし!と思えます。

そして、その次の日、違う部位を見てもらうために、病院に行きました。
でも不思議と初めて、その部位の機能低下をだいぶ受け入れることができました。

うまく言えないのですが、本当に、私の体、頑張っているな~と感謝になりました。
そして、まあ、これでよし!と思いました。

体を受け入れられるなんて本当ありがたい、なんだか、意外に統合失調症のおかげです。

精神もこれでよし!と思います。

統合失調症にかかったこと。
なってしまったから、もうかえられない。

でも、なんだかそれが嬉しく感じた不思議な日でした。

私の意識が少し変わってきているのだと思います。
なので、自分でもびっくりするような、考えがわいてきます。

障碍になったこと、よかった、なんて恵まれているの、幸せ、という気持ちがわいてきて、
後から、え?なんで?なに思ってるの私?とハタと考えなおしたり(笑)

これって統合失調症の症状のハイとかじゃないの?とか確認したりして^^;;

でもそういえば、学生の頃、エイズになった女性が、「エイズという宝物をもらった」
とキラキラとした輝きで話していた記事があったなあ、と思いだしました。

その時はすごいなあ、全然わからないと思っていただけだけれど、
なんとなくその方の気持ちがわかったような気がしました。

精神状態も、まだやる気がなかったり、苦しくなったりするときも多々あります。
でもその時は、本当に、病む時は、病むがよろしく候です。

最近不思議と結婚願望も手放せたのです。
そしたら本当楽ちんになって、なんでこだわっていたんだ~と思いました。

結婚してもしなくてもどちらでもよし、という感じです。
統合失調症になっても、結婚してもしなくても、子供がいても、いなくても、
仕事をしていてもしなくても・・・。

みんな完璧。

すべてOK。なんでもOK。大丈夫。

みなさんも自分もはなまるなんだ、と思う私でした。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

2015年4月 8日 (水)

生きていてくれればいいから

統合失調症になって、なお、無理はきかなくなってきました。
というより、昔の自分を偽りながら生活しているのが大変負担に感じることがあるのです。

昔の私・・・期待されると、自分の限界をこえてまで振り絞ってこたえる。
認められるとうれしい。

そんな感じでした。まあ、自我です(笑)

今活動をしているボランティアの仕事ですが、仕事を頼まれすぎて、
自分の休む時間が足りなくなって、2か月ほどお休みしました。

今まで私がやっていた仕事、役割は、もう違う人に任されていました。
それを知って、少し悲しくなりました。

ここでもう仕事がないのじゃないか、いる意味がないのではないか、という気持ち。

私のやっていた仕事をやってくださった方に感謝の気持ちなんてどこへやら。

働いていたときも、40度の熱があっても、出勤。
付き合っている人に対しても、その人の期待に添えるように、全力を注ぐ。

でも裏をかえせば、期待にこたえて、大事な存在だと認めてもらいたい、
その一心だったと思います。

小さい頃、否定されて育ちました。
存在自体の否定、言葉でも否定のオンパレード。

そういう経験から、とても存在の価値づけをはかる傾向があります。
こんなどうしようもない自分を生きている意味づけをしないと、怖くていられないのです。
でも、それってとっても疲れていたのだと気づきました。

結局、人のお役に立てるとか、認められる、っていうのは、後からの結果。
神様にお任せ。

私はできるときにできることをやっていればいいだけ。心をこめて。
それでOK。

別にいいじゃない、役に立とうが立たなくても。
人が認めてくれようがくれなかろうが。好かれようが嫌われようが。
いちいちそんな存在価値をはからなくてもいいんじゃない。
なんだかどうでもいいことにこだわっていた。
最近そうなってきました。

できないときはできません〜。やれないことはやれません〜。
そうなるとなんて気が楽~。

そして、思うのです。「生きていればOK」「それですべてOK」と。

 

私の入っていた生命保険の担当の方の娘さんが統合失調症だったということをこの前、
入院した時の保険請求の手続きの時、知りました。

保険が出るといっても、最低ラインの保険なので、そんなには出ないのですが、
それでも請求できればとても助かります。
でも、担当の保険屋さんは、近所の方なので、
私の病気を知られたらちょっと気まずいかも?とのことで、
入院した時の保険請求を迷っていました。

でも、心を決めて、この前請求したんです。
病気の名前を知らせたとき、相手はびっくりして、
「私の娘もそうだった」とおっしゃいました。

そうだった、と過去形なのは、その方の娘さんが、
心臓か何かの突然死で亡くなっていたとお聞きしていたからです。

でも実は、突然死ではなくて、自死だったそうです。

その方が私におっしゃいました。

「生きていてくれればいいから」「それでいいから、命を大事にしてください」と。

本当に心からの言葉でした。

私も、今、自分を楽にしはじめてきて、いろいろなフィルターがとれてきて、
どんな存在にも心からそう思えます。

生きていてくれてありがとうと。生きていてくれればいいから、と。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

2015年4月 7日 (火)

昨年の今頃は電車に乗れなかった

今日、電車にのって1時間半かけて、体のことのために病院に行きます。

自然に電車に乗って出かけることを決められるのですが、昨年の今頃は・・・。

恐怖で不安で、一秒一秒を過ごすのがやっとで、震えて毎日過ごしていました。
考えることは、自分がいなくなってしまうほうがいいと思うことばかり。
急性期のような、幻聴、のっとられ感はなかったのですが、すべてのものが怖かったのです。

思考は、今まで考えたことのないくらい、暗い、ひどい内容で、
このブログに書けるようなものはありません。
(まだ今でも時々この症状はありますが)

なんとか、付き添ってもらい、散歩にいくものの、不安でまっすぐに歩けない、すべてが不安でした。

でも食べることだけはできて、食べることで気を紛らわせることもあり、
とてもひどい詰め込むような食べ方でした。

そして統合失調症になった、ということ自体も受け入れられなくて、
私は一生病院に住んでいたほうが、家族のためではないか?と悩んだり、
家を出るために、グループホームに入らせていただこうか、と問い合わせをしたり、
べてるの家に住まわせてもらうためになんとか方法がないか、と考えたりしていました。
(べてるの家は精神障害を抱えた人の当事者の地域の活動拠点です。
ここは、大学時代にいろいろとつながりがあったので、行きたい、と思いましたが、
地域の方優先なので、無理でした。)

電車なんてとても無理、不安すぎて、声が出てしまうかもしれない、
叫んでしまうかもしれない、そういう恐怖がありました。

今、電車にのれない!外を歩けない!散歩もできない!お風呂に入れない!怖い、怖い!
できないことに気を取られて、焦って焦って、よけい症状に振り回される感じでした。

今思うこと。

それは、焦らなくてよかったんだなあ、ということです。

寝ていることで十分で、動けないときはそれで十分。
食べることしかできないときはそれで十分。
できれば、それをもっといろいろできたいと思わず、ぞんぶんに労り、
はなまるをつけて、味わえばいいんだなあ、って。

今特に何もしていなくても、電車に怖がらずに乗れるようになるように、
自然にちょうどいい時にやれることはやれるようになっている。

できなかった物事ができるようになるのは、なんとなく自転車に乗れる感覚に似ています。

統合失調症になった後の衝撃は、たとえは変ですが、
人生や日常というものを自転車に乗って進んでいるとしたら、
今まで自転車に乗って運転していたのに、激しく転んで、あまりの痛さと衝撃に、
乗ってきた自転車の存在も乗り方も忘れてしまったという感じ。

最初は痛みと衝撃にうずくまるだけしかできないけれど、
痛みもおさまると、自転車にのろうとする勇気がまた湧いてきて、また自転車をこいでみる。
最初はふらふらするけれど、自然に、「あ、これ、前の感覚だ!」と思い出し、
だんだんスムーズに漕ぎ出せてくる。
初めて自転車に乗れたときのような喜び。
たくさんの練習や休憩や後ろで支えてくれる人も必要だったけれど、乗れるときは乗れる。

物事が自然にできてくる、やれるときにはやれるようになってくる、以前の感覚を思い出します。

以前と違うのは、慎重に、また転ばないように、ゆっくり、時には休んで、
そして、いろいろな風景を確かめながら、進んでいる感じです。

そして、きっと統合失調症になったからには、また以前と違う進み方ができるような気がしています。

今までちょっと競争心で、周りばかり気にしすぎて、劣等感の塊で、
ただ、みなと同じようなレールにのろうと必死に、頑張りすぎた進み方でした。

これからもそれでもいいかもですが、
でもせっかくなら、もっとオリジナルで私なりの幸せな進み方を選んでいけるかも、
そう思えるこの頃です。
今に行きたいところ、人生の進みたいところに、周りの人なんて気にせず、
上手にこいで行けるようになるかもしれません。

って、自転車でたとえちゃいましたが、よくわからんですね(笑)

実は、リアルではいま体の病気で自転車も乗れないのですが、
それでも、電車に乗れる感覚や、料理が少しできるようになる感覚は
初めて自転車に乗れたときの感覚に何か似ている喜びがあります♪

焦らずに、これからも、ゆっくり時に任せて、自然にいきたいなと思います。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

2015年4月 6日 (月)

同じ病気の方達の優しさ

私の周りにいらっしゃる統合失調症の方々はみんなとても優しいです。
あと心配りや、配慮がとても深くて、見習うことばかりです。

ひとまとめにはできないし、同じ病気の方でもいろいろいらっしゃるのでしょうが、
統合失調症や精神疾患にかかるかたは、はんぱなく優しくて気配り上手な方が多いような気がします。
でも本人は気づいてないようですが・・・。

才能としか思いえません。
私自身も、丁寧で優しい、といわれることは今まで多かったけれど、
私の丁寧さなんて、目じゃありません。

病気になる前も、躁鬱病や、境界性人格障害、演技性人格障害や、社会不安障害
などをお持ちで、病院にいっている方々と友達と交流をしていました。

メンタルが不安なときは、とても攻撃的になったり、恐怖に陥ったりしますが、
その底に流れているやさしさとか、丁寧さがいつも輝いていました。

その繊細な思慮深さ、すごいものでした。

というか、みなさんセンスありすぎ。

昔、大学生の時、大学側の紹介で、精神科病棟の入院施設の夜勤のアルバイトをしようとしましたが、
落ち着いてらっしゃる方も柵の中に入っていたり、とてもひどい入院施設でした。
どちらかというと、患者さんよりも、その病院の威圧的な態度、患者さんに誠意がないケアに、怖くなり、すぐやめました。
そして、精神を病む方は、看護士さんがあんなに威圧的な態度を
とらなければならないくらい大変で、少し怖い存在なのかも?という感覚が少し残りました。

でも、実際、自分が精神病院に入院して、まったくそんな気持ちが吹き飛びました。
もちろん急性期の時は、お互い精一杯ですが、落ち着かれると、とても優しい言葉がけで
力をくれるのです。

「あなた、本当にとっても素敵」
「あなたの着ているもの、とっても自然なものがおおいね、リンネル(自然な感じの洋服の雑誌らしい)の世界みたい」
「いてくれるだけで、とっても元気がでる」
「笑顔が出てきてうれしい、ずっと顔が元気なかったから」

などなど、ポッと灯りをともしてくださる言葉がけをたくさんしてくれました。
適当に着ているものの素材に気づくなんてすごいなあ、
笑顔が出てきたと気づくなんてすごいなあ、
話したことないのに、よく見ていたなあ、
いつもびっくりしていました。

もちろんおしゃべりの苦手な方もいらっしゃいますが、その方が話す一言もとても深かったり・・・。

先日、同じ病気をお持ちのある一人の方と初めてお話したのですが、
その方も、とても素敵な、あたたかい空気が伝わってくる、すごい人でした。

いろんなことに気づいて、ほめて、お話を聞き、励ましてくれる、その力って、一般ではあまりないことです。
今の仕事場でも、全然ありません。
私一人でやってます、同僚に素敵なところを伝えたり、感謝を伝えたり・・・。

同僚からは、「midoさんって、ある意味(どんな意味じゃ)、そのピュアなところ、見習いたい」と言われてます。
(ほめ言葉なのか、微妙なところですが)

私も人のステキなところが自然に目につき、それを伝えずにはいられない性格ですが、
もっとすばらしいみなさんの才能に刺激をうけます。

そんなとき、統合失調症になってよかった、と思います。

なかなか体の病は今でも、受け入れられないのですが(目に見えて変化があると、落ち込みやすい)
統合失調症の方は、とても感謝できるときもあります。
大切なことを教えてくれてありがとうとなります。
それは、本当に同じ病気を持ち、生きていらっしゃる、みなさんのおかげです。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

2015年4月 4日 (土)

症状だと思ったら薬の副作用だったの巻

急性期をすぎて、恐怖ばかりの不安期をすぎて、この半年やる気の出ない症状が続きました。

このやる気のない症状もなかなか手ごわいのです。

いろいろ物事をやる前に、体も心も動かなくて追いつかないのです。
たとえばファックスひとつ送るのに、コピー一枚とるのに、まるで、
10キロマラソンに挑むような力が必要です。

辛くて、もう、布団に永遠にくるまっていたい、そんな感じでした。
そんな毎日を、ファイト一発、時には、自分のほっぺをたたいて、カツいれて、振り絞って動いて過ごしてきました。

ところが、最近3日くらい薬を忘れてしまいました。
この一年半、体質の関係で減薬は続けており、ふつうの10分の1の少量なので、
医者がみると、効いてないのでは?断薬になってしまう、と言われたこともあったのですが、
しっかり効いていたようです。

薬なしで3日目、とてもやる気が出てきて、物事にスイスイと取り組むことができました。
スイスイ動く自分にびっくりして、考えたら、薬を飲んでいないことに気付いたのですが(汗)

ということは、結局、やる気がなくて、気力がなくて、物事をやるのに、振り絞ってやらないと
できない現象(統合失調症の陰性症状だといわれていた)は、私の場合ですが、薬の副作用だったのだなあ。

もちろん、また薬を飲みだしましたが、あと10日で受診なので、お医者さんに報告はしたいなあ、と思います。

うーむ、このやる気のなさを振り絞ることに慣れていくしかないのでしょうか。

急性期、絶賛入院中の時にも、薬が合わなくて、幻聴が限界になるほどとてもひどくなったことがあります。
このままでは、現実の世界に戻れなくなる、と直感で思いました。
すぐ、一つの薬のせいだと自分でわかりました。

この幻聴がひどくなった恐怖を口にだせば、薬のせいではなく、症状のせいだと絶対思われて、
また薬が増える、そう思った私は、幻聴と妄想が少しずつ、
自分でコントロールできるようになってきているから大丈夫だと思い、
薬は口にいれて、必要な分量だけ飲み、残りは隠れて捨てるという選択をしました。

お薬を全部飲めなくて、悪いことをしているな、と心で看護士さんに謝りながら、
ちょっと良心が痛い時期でした。

その時はまだ入院したてで、何を言っても信じてもらえなかったのです。
私の言ったことを信じてもらえる時期までだまって待つことにしました。

少ない薬でも、それでもほとんど動くことができず、もうろうとした頭で、
何が現実かかろうじて、わかる感覚で、トイレにもいけませんでした。

私が薬ショックがひどいということが、本当にわかってもらえないまま、
薬を飲んで、さらに増やされていたら、現実がわからなくなって、まだ入院していたと思います。

その後、医者が、私のことをようやく信じ始めて、どんどん減薬してもらいました。

今は医師の合意のもと、現在の量になったのがありがたいです。
最初のひどい症状でも、多剤投与は私の場合は全くいらなかったのでしょう。

CP換算値とかの平均は関係ない場合もある。

人それぞれ。多くの量がちょうどいい人もいらっしゃるし、ほとんどゼロでもいい人もいる。

うーん、難しい、本当に、精神のお薬って。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

2015年4月 3日 (金)

子供は産めないけれども

久しぶりにブログにむかえました^^
ちょっと体の方の調子が崩れてしまい、そうするとやはり精神も崩れ気味でした。
バイトと内職と家事をこなすのがやっとでした。

あまり人は来ないかもしれませんが、更新していない間にも来てくださった方
ありがとうございますshine

私はずっと子供がほしいと思ってきました。
二十歳くらいのとき、子どもが生まれることを考えてワクワクしたりしていたこともあります。
その時おつきあいしていた人と結婚できたら、彼がとても子供に人気のある方だったので、
楽しいだろうなあなんて妄想^o^していました。

体の病気になって、いつか治る、40歳までがんばるぞ!と思い、
30歳前半で付き合いだした彼との結婚と子育てを夢見て、体の病気と闘ってきました。

でもどんどん低下していき、40歳では統合失調症。
でも体は寛解!
まだ出産をあきらめずにいましたが、また体がダウンしてきたことにより、そろそろこの夢を手放す時期になりました。

私は本当に出産とは縁がなかったんだなあ、と思いました。

里親も望んでいましたが、統合失調症にはちょっときびしいみたいですね。
精神疾患があると。
もちろん、体の病気もあるし、お金もないし。無理です。

きっぱりとあきらめるしかなさそうです。

あ、でも統合失調症の方はあきらめること全然ないです!
私の知り合いやお仲間では、お子さんがいる方もたくさんいますし、
統合失調症でも大丈夫、絶対私はそう思います。
体さえ大丈夫なら、メンタルとうまくつきあいながら、やっていかれるかたが沢山いらっしゃいます。

私自身はあきらるしかないですが、それでも、とても幸せになることがあります。
今お仕事先で、16歳のお子さんの生活を援助しているのですが、その楽しいこと。
障害はありますが、その子の世界が純粋でかわいらしくて、すばらしくて、本当に幸せになります。

朝起きてもらって着替えや食事を見守る。仕事に送り出す。

そんな流れはまるで、きっと母の役目ですよね。
私の同級生にも16歳くらいの子供さんがいらっしゃる方もいます。
もうそういう年のお子さんの親になっている年齢なんですね。

いつもその子に感謝します。
そして、心配しながら、施設に預けているその親御さんも。

忙しい仕事の世界で、こんな気持ちをいただけて、感謝でいっぱいです。

もともと、中学生の時、施設で暮らしていた時も、小さい子供の面倒を見るのがとても好きでした。
かわいい子供たちがまわりに集まっているだけで、ほんわかしてました。
私が大人になっても、その子供たちが、私のことを、お母さん、お姉さんがわりに思ってくれて、お手紙をもらったりしました。
今はその子供たちも、立派に成長して、親になっている。素敵なことです。

直接親にはなれないけれど、そっと遠くから、お子さんの成長を見守れる人になりたいな、
今はそう思います。

統合失調症の方でも、出産の機会がある方々がたくさんいらっしゃると思います。
産まれたお子さんが元気で成長されますように、願っています。
そして世の中のお子さんが元気で幸せに成長されますように。

にほんブログ村 メンタルヘルスブログへ
にほんブログ村

« 2015年3月 | トップページ | 2015年5月 »