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2015年2月14日 (土)

体に謝る

今日も元気のないmidoです。停滞期ですね。

仕事もまたミスをしていました。
部屋の片隅で少し泣いて、利用者さんの前では笑顔でいました。
利用者さんがオアシスです。
でも利用者さんの変化に気付かないようでは、やはりボランティアが精いっぱいです。
私の実力がわかりました。
やっぱり、そろそろやめる時期のようです。

契約は7カ月。あと一か月で終わりですから、それまではいいのかな?
相談してみます。

体の方もこの2,3カ月で明らかに、少し進行しているようです。
また、あの苦しみがはじまりそうで、怖いのですね。

半年落ち着いたので、バイトをはじめました。
半年も落ち着いたのは、初めてだったからです。
でもまた、波がきたのかもしれません。

私の病気は粘膜が異様に弱いです。
粘膜といえば、歯ぐきや目、鼻、耳の中、生殖器、排泄器官、内臓の全部です。
辛いものを食べても粘膜がはがれます。

あと猛烈な痛みがあります。昼も夜もなくなるくらい、もだえます。
3日間寝れずに、痛みの休みの間に、立って寝ることもしばしばでした。

目が範囲が見えなくなっているときもありました。
髪の毛が恐ろしく抜ける日々もありました。

歯ぐきはぼろぼろ、歯もない歯もあります。
人一倍気をつけてきます。
トイレも大変です。潰瘍だらけで、すごいことになっています。

見かけ、普通にしていれば、あまりわかりませんし、しっかりしている
と思われがちですが。

私は歯ぐき丈夫で、トイレが大丈夫な人が本当に羨ましくなるときがあります。

それを言うと、ほとんどの人が大丈夫だよ、といいます。そうだよなあ。

羨ましいな、せめて、それだけでも楽だったらいいのにな。
せめて年相応になりたい。そしたら、きっと恋もうまくいったのにな。
今頃、家族をもてたかもしれない。
って思うことすごくあります。

でも羨ましい病になってはいけない、羨ましい病は自分のすべてをむしばむから。

もっと体が当たり前に元気だった時大事にしてあげればよかった。
そう思います。

おまけに、統合失調症になって自殺未遂してしまい、後遺症も残ってしまったこと、
本当にごめんね、と自分の体に謝ります。

最後まで自分の体と心を大事にできるかな。
自分の人生を大事にできたらいいな。

自分の体や、自分の能力のなさを受け入れるのは勇気がいります。

でも私の中から、どんなものでも許せる愛がこんこんと
いつも泉のように出てきますように。

どんな時も流れにまかせて。

受け入れられますように。

  

「Love my body」

  

歯をやさしく磨いた
痛みがやわらかくなっていった

体をゆっくり洗った
体が静かに泣いているようだった

髪をそっととかした
髪の毛が気持ちよさそうに柔らかくそよいだ

私は私を抱きしめて 膝にそっと
キスをした

「体と向き合う日々の詩」

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日常」カテゴリの記事

コメント

 midoさん、こんばんは。ある、病に苦しまれた女性作家さんのエッセーに次のようなことばがあったそうです。そこから先は神の領域。再発におびえる苦しみは体験された方にしかわからないでしょう。
 また、俳人の正岡子規も激痛をともなう病気にくるしんだそうです。そして、その激痛の苦しみのなかで病床から見える庭先の小さな花の美しさに感動したそうです。
 女性として、恋をしたい、家庭をもちたい、それは自然でささやかな夢ですよね。それでも、うらやましい病になってはいけない、その気持ちはこころを蝕むとわかっている。midoさんはいったいどれだのご体験をされてきたのですか?
 あきらめた夢、それでも人生を、人を、自分を愛したいという優しさ。奇跡は奇跡ではない。あたりまえの普通の暮らしをおくれることこそが、幸せであり、平凡な人生こそが奇跡である。midoさんにはご理解いただけるのではないかと思います。
 これから先、不安もおおきいのではないでしょうか。当然ですよね。そんなときは、このことばをおもいだしてもらえたら、嬉しいです。そこから先は神の領域。よっしーは宗教は信じませんがかみさまはいるのではないかと思ってます。midoさんにはmidoさんがつちかわれた価値観がおありでしょう。よっしーはその価値観を尊重いたします。ただ、苦しい時はこのことばを、ちょっとでも思い出していただけたらなーと思います。
 体の病、心の病、死が身近に感じられますね。よっしーにも死が近くにあった時期もありました。midoさんにうけいれてくださいとは言いませんが、このような考えもあります。人は生まれたとき自分が死ぬまでの全ての出来事のシナリオを描いている。人生はこのシナリオどおりすすんでいく。
 midoさんの過酷な人生も運命の神のきまぐれでもなく、因果の解消でもありません。自分でこういう経験をしようと決めてきた人生かもしれません。この過酷な人生の意味。それはmidoさんが最後を迎えられた時わかることかもしれません。
 よっしーもあと何年いきられるのでしょうか。明日の命かもしれません。それすら、自分で描いたシナリオどおりなのでしょう。よっしーもmidoさんに支えられてます。よっしーもすこしでも、この場所でmidoさんの心のつえになれたらいいなと思います。わたしたちも約束した出会いだと思います。

>よっしーさん

本当にありがとうございます。
また帰って来てから書かせてくださいね。
力をいつもありがとう。
よっしーさんのエネルギーが伝わってきて、文字以前にやわらかくなります。

執着で、なかなか神様に、天に預けていけないときがあります。
神様の領域にお任せして、あとはやれることをやって、楽しむことですね。

少しすっきりしました。
よっしーさんのおかげです。
ではいってきますね!

>よっしーさん

おはようございます^^

この2日は、体がダウンしていました。
よっしーさんの心のこもった深いコメントを何度も見させていただきました。
そうですね、正岡子規も病気に苦しんでいたのですよね。
でも繊細で美しい感性をずっと光らせていた方なんですね。なんかじーんときました。

この十年以上、うらやましい病がどれだけ自分を苦しめるか、身に染みていましたが、
時々出て来ますね。それでももう、そちらの選択はしないようにしよう、と決めています。
それでも自然に憧れる夢は、否定することなく抱きしめていますが・・・^^;;

平凡な人生、というか、それはすごいことですよね。
日常は、人それぞれかもしれませんが、
痛みがない日、というのが私にとってはすごいことであるように、
食べられたり眠れたりもすごいことで、
でもどんな日もきっと奇跡なのかもしれません。
どの日も奇跡ですね。
苦しみはそういうことに気が付かなくてやってくる感じがします。

自分のいろいろな感情や葛藤、変わりゆく現状と付き合うのは本当に大変なことですが、
それでもたまにその先に、きらりと光るものに出会います。

よっしーさんとの出会いも本当にそのような、光の出会いです。
感謝申し上げます。

神様の領域、とっても心が楽になる言葉ですね。

そして、自分自身が選んでいる人生。
私もそれに賛成です。

小さな自分、というか、この世だけの自分は、もがいたり、四苦八苦することがあるけれど、
きっと、私が選んだ人生ですね。
まだ霧がかかって見えないことが沢山の人生です。
それでもその霧がかかっている中、手探りで歩きながら、今の私は歩いている。
それでも自分の決めた人生を歩けることは、幸せと隣合わせな気がしてきますね。

感謝をこめて。

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